河童酒宴
佐藤垢石

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)小千谷《をぢや》町
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 私の父親は、近村近郷きつての呑ん平であつた。いま、私も甚しい呑ん平である。子供のときから今日まで、六十余年の間呑み続けてきた。
 母親は、少年の私が酒を呑むのを見ると、きつい叱言を喰した。だが、父は反対に奨励の傾向を持つてゐた。このごろ私は、一升九百二十五円といふ高価の酒を呑んで、生活の胸算用に苦しんでゐるのである。こんな高い酒にめぐり会はないで早く死んだ吾が父親は、まことに幸福者であると思ふ。
 あるとき母親が、四五里離れた親戚へ客に行き、二三日家を留守にしたことがある。甚だよき機会である。父親は、私を酒屋へ使にやり毎夜二人はしたたか呑んだ。うるさい鬼の、留守の間の命の洗濯である。
 四五杯傾けてほんのりすると、父はいつも借の面白い物語、いや自分の見聞談を私にきかせるのを例とした。ある夜、私は父に人間以外に酒を呑む動物があるかどうか問うてみた。すると父は、即座に、あると答へた。
 お前は、海鼈を知つてゐるだらう。あれは、ひどく酒が好きなんだ。海の漁師が鼈を捕へるとこれを浜へ連れて酒を与へる。海鼈は喜んで、五升も一斗も呑んでしまふ。頃合を見て漁師は海鼈を海へ放つてやるが、かうして置くと海が荒れたとき鼈は自分等漁師を狂瀾から護つてくれるといふ話は、お前も知つてゐる筈だ。
 ところで、泥鼈(すつぽん)は海鼈とは近い親戚だ。親戚の間柄であるから、泥鼈も大の呑ん平である。この泥鼈が酒を呑んで十石を尽すといふと、河童(かつぱ)に出世する。つまり河童とは泥鼈の年功を経たものであるだらう。
 幕末のころ、水戸の大浜海岸で河童が漁師の網にかかつてきた。よく見るとこれは、頭だけ河童になつてゐて、甲羅や四肢はまだ泥鼈のままの姿であつた。多分これは、まだ酒を五石くらゐしか呑まぬ奴であつたらう。明治になつてから越後国の小千谷《をぢや》町の地先の磧へ河童が昼寝に上つてきて、里の子供等に捕つたことがある。奇妙にもこの河童は体は河童の姿になつてゐたが、頭は泥鼈の形のままであつた。これも、まだ飲酒十石に達せぬ奴であらうが、頭が泥鼈でからだが河童であるといふ姿を想像してみた。随分妖魅に富んだ代ものだ。
 父の話は次第に面白くなつてきた。私に酌をさせては、ちびちび呑みながら話を続けて行く。
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