の風貌から察すれば、仲造の言った形容は全然言い過ぎでもないかも知れないが、写真から想像したところでは仲造の話は大袈裟《おおげさ》すぎる。それは何《いず》れしても教育はあるし家柄はよし、人によっては却《かえ》ってこの方を好むものだ、などと贔屓《ひいき》の考えもしてみた。
 その日も、なかなかよく鯛が釣れた。
『旦那は、このごろえらく釣りが上手《じょうず》になったね。俺は、旦那と一緒に沖へ出るのが楽しみだ』
『うまいことを言うね――お前の教え方が上手なんだろう』
『えへへ』
『おぼんには、何を送ってよこそうな』
『えへへ』
 私が大きな魚籠《びく》に入れた鯛をさげて帰京する時、森山さんは駅まで送ってきて、
『では、何分お心がけおき願いとうございます』
 と、言うのであった。

     四

 私は汽車のなかで、何かのきっかけに思い出したのは、山岡という友人であった。
 山岡は、親友というほどでもないが、若い時からの知り合いで、仕事の上の取引もあるし、折りによっては酒もつき合うし、身の上話もする仲である。二、三年前に子供二人を残されて美しい妻君を失った。その後、男やもめで寂しく暮らしている
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