でも、普通のところであったら、私などはもちろんのこと、妹にも往生させるつもりですから――』
私は翌日も滞在して、また海へ鯛釣りに行った。船頭は、いつもの仲造といった三十前後の腕達者である。沖へ出て、陸の方を望むと、房総半島の山々を包む緑の林が色濃く昼の太陽に映し浮いている。浜辺の家並みも、微《かす》かに糸に揺れて和やかな風景である。午前中の潮行に、舟を三流し四流し釣って、午後の潮が再び膨《ふく》らみきたる間に、仲造と二人で弁当を食うことにした。
そのとき私は、ふと森山さんの妹さんのことを、仲造にきいてみる気になった。
『おい船頭さん、お前は森山さんの妹さんを知っているかい』
『知ってます。あの兼子さんが、どうかしただかね』
と、仲造は持っている弁当箱を、舟板の上へ置いた。
『どうしたという訳じゃないが、大層別嬪だという話じゃないか』
『とんでもない』
大きな手を横に振って仲造は、
『まるで反対だ。ふた目と見られねえ』
と、笑うのである。
『ふた目と見られないはひどいね。それほどでもないのだろう』
『ほんとだ。暑中休暇には帰ってくるから、見なせえ』
こんな訳であった。森山さんの風貌から察すれば、仲造の言った形容は全然言い過ぎでもないかも知れないが、写真から想像したところでは仲造の話は大袈裟《おおげさ》すぎる。それは何《いず》れしても教育はあるし家柄はよし、人によっては却《かえ》ってこの方を好むものだ、などと贔屓《ひいき》の考えもしてみた。
その日も、なかなかよく鯛が釣れた。
『旦那は、このごろえらく釣りが上手《じょうず》になったね。俺は、旦那と一緒に沖へ出るのが楽しみだ』
『うまいことを言うね――お前の教え方が上手なんだろう』
『えへへ』
『おぼんには、何を送ってよこそうな』
『えへへ』
私が大きな魚籠《びく》に入れた鯛をさげて帰京する時、森山さんは駅まで送ってきて、
『では、何分お心がけおき願いとうございます』
と、言うのであった。
四
私は汽車のなかで、何かのきっかけに思い出したのは、山岡という友人であった。
山岡は、親友というほどでもないが、若い時からの知り合いで、仕事の上の取引もあるし、折りによっては酒もつき合うし、身の上話もする仲である。二、三年前に子供二人を残されて美しい妻君を失った。その後、男やもめで寂しく暮らしている
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