よりも怖ろしい。自分は人間の純真と純情の生活のなかに、自分の姿を見出したい。それは、熊本を去ったときからの、念願であったのである。
それから間もなく、娘は唐草の風呂敷包みを一つ背負って、万太郎山の南向きの山襞に猟小屋ほどもない小さな炭焼小屋へ嫁に行った。浮世の掟通り、娘は生まれた家へ出入不叶という条件の許に、理想の人と共に暮らす人となった。
小屋の傍らには、清冽な湧き水が、岩の裂け目から走っている。美人は、そこで麦や粟や稗をといでいるであろう。
この頃、世間では食糧不足のため、来春は一万人も餓死者が出るかも知れぬといって、真剣に騒いでいる。もちろん耕地のない山奥の炭焼小屋も、世間並みの食糧配給を受けているに違いない。してみれば飢餓という浮世の風は、その山奥まで吹いて行こう[#「行こう」は底本では「行かう」]。
だが、私はこの炭焼夫婦だけは飢え死にさせず、末永く夢を実現した美しい人として生かして置きたいと思う。
底本:「『たぬき汁』以後」つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日第1刷発行
入力:門田裕志
校正:松永正敏
2006年12月2日作成
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