抱くその感懐が伝統の強き情操に育まれきたったであろうと思う。
 わが国土の「美」を決して他人に、蹂躙《じゅうりん》させまい。これなのだ。これが、日本人の力の泉であった。
 人は、誰でも故郷を持つ、誰でも故郷に対する愛着の強さは、言葉ではいい現わせぬものがある。日本の国土全体を愛する執念と共に、我々は醇美なる故郷の自然に陶酔しているのである。されば、我々は故郷の山川草木にも、強く育てられてきた。
 山国に生まれ育った人も、平野に生まれ育った人も、都会に生まれ育った人も、そこは各々の故郷である。私は、江戸時代から先祖代々七、八代も続き、田舎に故郷を持たぬ幾人かの友を持っている。その一人に、将棋の名人木村義雄君があるが、日ごろ彼がいうに、自分は草原山川に囲まれた故郷を持たぬ。
 だから、田舎の生活の情味は知らない。そこで、どこが故郷かといえば、やはり東京が故郷である。自分は、本所の割下水で生まれた。つまり、割下水が故郷だ。引き潮時に、掘割の真っ黒い水の底から、ぶつぶつと沸き立つ、あの溝の臭みが故郷の匂いである。
 ときどき散歩に行く、丸の内のお堀端の柳が水に映る姿も、故郷の彩である。そんなわ
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