姿を遠望したとき、真に凄寒を催さざるを得ない。折柄、秋風空中を掠《かす》めて稲刈る人の指先が、ひとりでにかじかむ。
 八ヶ岳の雄容はひとりわが上新田ばかりから望めるのではない。高崎市に近い佐野村を通過する信越線の汽車の窓からも前橋公園の桜の土手からも、はっきり眺めることができるのだ。
 四月の半ば、桜の花が散るころ、わが故郷には西南の微風が齎《もたら》した細雨が、しとしとと降ることがある。この雨雲はあの遠い甲州の奥山から送ってくるのであると、里人は言い伝えた。西南の遠い山から吹いてくるこのやわらかい微風は、糟のように細かい雨と共に、駿河大納言が詰腹を切った高崎の鐘の音も雲に含んで伝えてくる。
 こうして春の夕、大信寺の鐘の音が、わが村に響いて、余韻が消えなんとするとき、村の末風山福徳寺の鐘が、人の撞《つ》かぬのに大信寺の鐘に応えるが如く、自ら低く唸り咳くのである。この話は、象徴的な興味深いところがあるけれど、語りだせば余りに長くなるから、ここでは山の姿のみを眺めて、別の機会に譲りたいと思う。
 八ヶ岳の左手に、いつも濃紺の肌の色を、くっきりと現わした円錐形の高い山が、つつましき姿で立っ
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