、とうとう私をいれてくれなかったのである。神戸へ引き返した。一週間ばかり桟橋に近い口入れ宿の二階に、ごろごろしていたが、戸籍謄本を要求されて、就職はものにならなかった。夜逃げの身では、故郷から戸籍謄本を取り寄せるなど、思いも寄らなかったのである。口入れ屋の二階では、豆腐の糟に、臭い沢庵《たくあん》を幾日も食わせられた。
 友人が大坂城の四師団に法務官をやっているのを思い出した。これを訪ねて、おずおずしながらほんの少しばかり金を借りた。その金で天満橋のそばの飯屋へ入って心ゆくばかり飯とお菜を食った。余った金で行けるところまで行こう、と思った。京阪電車の駅の賃金表を見ると、男山八幡まで切符が買えた。
 何とかして、生きていこうと考えた。八幡の駅の改札口を出て、小さい旅行鞄を左の手に、毛布を右の手に抱えて田圃《たんぼ》の方へ出た。このあたりには、広々と敗荷《はいか》の池が続いていた。これから、どこへ行こうという目あてもない。
『夜逃げ』の首途に、夜の新橋駅の石畳の上に立った時には、自己革命を心に誓ったのではなかったか。真面目になろう。人間らしくなろう。これからは、決して酒も飲むまい。女も買う
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