そして脚の指に膜がない。
在原の業平《なりひら》が東へ下ってきた時に、隅田川の言問《こととい》の渡船場あたりで、嘴と脚の紅い水鳥を見て、いかにもみやびているところから『みやこ鳥』と呼んだという伝説があるが、京の鴨川にも昔からこのゆりかもめが、海の方から遊びにきていたのであるから、東西いずれの地で、『みやこ鳥』の名が起こったか分からないのである。
言問団子は、いま西洋料理屋になってしまった。団子は、申し訳ばかりに店の片隅にならべられて昔を偲ぶよすがもない。
明治二十年頃、言問の水上に、みやこ鳥の灯篭流しをして満都の人気を集めた団子屋の主人もいま地下に感慨無量であろう。
六
ケースの中から、長唄『都鳥』の音譜を取り出して、蓄音機にかけた。松永和風が、美音を張りあげて『たよりくる船の中こそ床《ゆか》しけれ、君なつかしと都鳥……』と唄い出した。この唄は安政二年六月の作詩で、清玄の狂言に独吟されたのが、世に紹介されたはじめであった。
伊勢物語の『名にしおば、いざ言問はん都鳥、わが思ふ人ありやなしや』の話が偲ばれる。
二、三日前の夕、みやこ鳥がくる龜清の石垣の上の風雅な室
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