阪新聞の産業欄に、このたび理化学研究所で、団栗から清酒を醸造することを発明し、全国各県の県農会に依頼して、大々的に団栗を集めるという記事を読んだのである。そして、その記事の終わりの方に、和歌山県農会当局の談として、本県でも理研からの依頼により晩秋になったならば、全県の小学生を動員して、山林から盛んに団栗を拾わせる。たしかな見当はつかないが、およそ全県で二、三万石は集まるであろう、というのがあったのだ。
 いままでは、団栗とはただ俳味を帯びた山野の邪魔物であるとしか思っていなかったのであるけれど、これによると我々人生と甚だ密接の関係を持ってきたようだ。我々、嗜酒漂泊の徒は、声をあげて万歳と叫ばねばならない。
 だが私はこの記事を一読してなんとなく、一抹の虚寂を感じた。と、いうのは猪の身の上のことである。団栗の稔りの秋に、小学生が大挙して山野を跋渉すれば、猪群は忽ち食料難に陥るだろう。
 今冬の猟期には、猪は痩せほそり皮は骨の袋となるに違いない。物価の塩梅《あんばい》にはほんとうに賢明なる政府諸公も、この猪肉の公定値段をきめるには、思案投げ首の苦境に陥るのではないかと考えられる。

   
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