の糸を織り込んだような銀狐の皮であったのである。有閑婦人が行き過ぎてから、それの後ろ姿を見返り感慨深そうに、皮でさえも一枚千円もするのであるから、銀狐の肉は素晴らしくおいしいものであろうな、と友人が言うのであった。
ところが、他の連中も一人の想像に共鳴したのである。そこで、私になんとか狐肉を才覚《さいかく》する思案はあるまいかと相談を持ちかけるのである。しかし、これには私もちょっと当惑した。だがしばし考えてみると、先年浅間山の北麓六里ヶ原へ山女魚《やまめ》釣りに赴いたとき、そこの養狐場へ厄介になったことがある。その養狐場には、数百尾の銀狐がいて、主人も親切者であることを思いだした。
冬のはじめは、狐の皮を剥ぐ季節だ。次第によったならば、少々くらいの狐肉は送ってくれるかも知れないと、気がついたからすぐ浅間山麓へ手紙をだし、千円の皮を残す銀狐はさぞかし肉もおいしかろうと便りしたのであった。
私の乞いに対し、六里ヶ原の養狐場では一匹一貫目以上もあろうと思われる大ものを、しかも二頭|菰《こも》包みにして送ってくれた。皮もついていれば、うまい話だが[#「うまい話だが」は底本では「うまい話だ
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