表的料理の主役を勤め、第一その肉は人の肺気を強くし、脾胃を補い、皮は裘《かわごろも》を製し、骨は邪気を除くと本草に見えている。さらに狸は冬月に極肥し、山珍の主なりと説明しているから、狸汁に憧憬する者、あにわれ一人ならんやと、多年思ってきたのであった。
ところで数年前ある冬の夜、虎の門のさる料亭で狸汁の試食会をやるという話を伝えきいた。私は待望の機きたれりとばかりその試食会へ駆けつけた。集まっている人々の顔ぶれを見ると市内有数の割烹店の主人、待合の女将、食通、料理人組合の幹部といった連中で、どれもひとかどの者ばかりであった。配膳が終わると主催者が立って挨拶をはじめ、[#「、」は底本では「,」]ついで長々と狸肉の味について、その蘊蓄を傾けるのである。
私には、その蘊蓄など、どうでもよろしい。一刻も早く狸肉に接して、その漿《しょう》を賞翫《しょうがん》したいと思っているのだが、なかなか本ものが出てこないのである。出るものいずれも月並みの会席料理で、これは一杯食わされたかと考えていると、主催者から、これから、いよいよ狸汁を差しあげますという宣言があった。
しばらく待つと、黄筋入黒塗りの椀が運ばれてきた。なかは信州味噌を漉《こ》した味噌汁である。不躾《ぶしつ》けながら箸のさきで椀のなかを掻きまわしてみた。さつま芋の賽の目に切ったものが、菜味としてふんだんに入っている。狸はどこにいるやと、なお丹念に掻きまわしたが、狸肉らしいものがでてこない。それでも諦めずにやっていると椀の底の方から、長さ曲尺にして五分、太さは耳かきの棒ほどの肉片が二筋でてきた。これ即ち、今晩の呼び物であったかと推察し、箸につまんで口中へ放り込み、つぶさに奥歯と舌端で耽味したのであったが、これはまたほんとうに何の味も素っ気もないものであった。だし汁を取るとき、煮だした鶏骨に僅かにしがみついている肉|滓《かす》に似て、それよりも無味である。あたかも、誤って汁のなかへ混入した木片を噛むようなものであった。果たして、これが狸肉であるかどうか知らない。かりにこれが狸肉であったにしたところで、こうまで煮だしてあくを抜き、狸の特徴とするところの土臭を去ってしまっては、なんの変哲もない汁ではないかと思う。
とうとう、してやられた。だが、相手が瓢軽洒脱《ひょうけいしゃだつ》、甚だ愛敬のある狸であってみれば腹もたつまい。
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