の糸を織り込んだような銀狐の皮であったのである。有閑婦人が行き過ぎてから、それの後ろ姿を見返り感慨深そうに、皮でさえも一枚千円もするのであるから、銀狐の肉は素晴らしくおいしいものであろうな、と友人が言うのであった。
 ところが、他の連中も一人の想像に共鳴したのである。そこで、私になんとか狐肉を才覚《さいかく》する思案はあるまいかと相談を持ちかけるのである。しかし、これには私もちょっと当惑した。だがしばし考えてみると、先年浅間山の北麓六里ヶ原へ山女魚《やまめ》釣りに赴いたとき、そこの養狐場へ厄介になったことがある。その養狐場には、数百尾の銀狐がいて、主人も親切者であることを思いだした。
 冬のはじめは、狐の皮を剥ぐ季節だ。次第によったならば、少々くらいの狐肉は送ってくれるかも知れないと、気がついたからすぐ浅間山麓へ手紙をだし、千円の皮を残す銀狐はさぞかし肉もおいしかろうと便りしたのであった。
 私の乞いに対し、六里ヶ原の養狐場では一匹一貫目以上もあろうと思われる大ものを、しかも二頭|菰《こも》包みにして送ってくれた。皮もついていれば、うまい話だが[#「うまい話だが」は底本では「うまい話だか」]そうはいかぬ。裸の狐だ。忽ち十数人の友達が集まって、肉を刻みおよそ百匁くらいずつ竹の皮包に分けて、各々わが家へ持ち帰ったのである。
 一堂に会して試食しなかったというのは、めいめい家へ持ち帰り自由に料理して食った方が、各人それぞれ異なった趣好によって、狐肉の美味の真髄を探ることができるであろうという申し合わせであったからである。その夜私は、あいにく他に会合があったのでその方へまわったところ、不覚にも少々酩酊したため、狐の竹の皮包をどこかへ紛失してしまった。
 まこと残念である。だが、いたしかたない。やむを得ないから、友人に試食の報告をきいて狐の風味を想像しようと考え、二、三日後数名の友人と会したのである。ところが大変だ。一人が言うに、家庭へ持ち帰ると細君の知恵で焼鳥風にやってみることとなり、肉を串にさして焜炉《こんろ》の炭火で焙ったところ、脂肪が焼けて濃い煙が、朦霧《もうむ》のように家中へ立ちこめ[#「立ちこめ」は底本では「立ちため」]、そのうえ異様の臭気を発して居たたまらず、細君と子供が真っ先に屋外へ避難、続いて自分も庭へ飛びだした。君は随分ひでえものを俺に食わせたなあと、あた
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