るのであらうなどゝ、まことにのんきなことを考へながら、峠のてつぺんの茶屋の縁台に梨子《なし》を噛《かじ》つて、四方の風景にながめ入つた。
ところで私は、大した事件を発見した。それは矢の川峠を下つて、尾鷲駅から汽車に乗るとき買つた大阪新聞の産業欄に、このたび理化学研究所で、団栗から清酒を醸造することを発明し、全国各県の県農会に依頼して、大大的に団栗を集めると言ふ記事を読んだのである。そして、その記事の終りの方に、和歌山県農会当局の談として、本県でも理研からの依頼により晩秋になつたならば、全県の小学生を動員して、山林から盛んに団栗を拾はせる。たしかな見当はつかないが、およそ全県で二三万石は集るであらう。と、言ふのがあつたのだ。
いままでは、団栗とはたゞ俳味を帯びた山野の邪魔物であるとしか思つてゐなかつたのであるけれど、これによると吾々人生と甚だ密接の関係を持つてきたやうだ。吾々、嗜酒漂泊の徒は、声をあげて万歳を叫ばねばならない。
だが、私はこの記事を一読してなんとなく、一抹の虚寂を感じた。と、言ふのは猪の身の上のことである。団栗の稔りの秋に、小学生が大挙して山野を跋※[#「足へん+歩
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