が転げている。下駄や草履も、乱暴に取りちらしてある。
『何者の、寄り合いだんべ』
 爺さんは、しばし解けぬ疑いに茫《ぼう》っとして、堂の入口に佇んだ。
 大老井伊直弼が、水戸浪士のために桜田門外で討たれたのを八蔵爺さんが聞いたのは、それから二刻とたたぬ時であった。
 伊賀袴をはいて竹胴を着けた武士が、一つ橋に近い若年寄遠藤但馬守の辻番所の傍らまで落ちのびた時、ついに深傷に堪え兼ね、大老の首級を前に置いて腹を切った話は、翌日になってから社務所の役僧に聞いたが、爺さんは竹胴をつけた武士の顔を思い出し、
『も一足早かったから[#「早かったから」はママ]、あの褌が間にあったろうに――』
 褌のない武士の壮絶な最期が、まざまざと眼に浮かんだ。
 有村は、臍の上を横に四寸ほど、右の方へ一寸ほどあげて腹を切ったが、朝からの奮闘の上に重傷を負ったため、腕に力抜けてそれなりに路上に突き伏した。但馬守の辻番所の中で絶命したのは、それから半刻後であった。
 懐中に、二月二十七日の日付けで吉原元海老屋から受取書が一通あった。
 一、昼夜二分(千とせ、玉越)一、一分(芸妓二ツ)一、台二分一、二朱(肴一枚)一、二
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