、やはり越前慶永への書翰に――この頃、井上佐太夫御預り御秘事の御筒打候節、御覧これ有りし末、御園中の林または竹なぞ茂叢の中を、裏もなき御草履にて、御駈け廻り遊ばし、御踏抜きども遊ばさる可くと、奉行は流汗恐縮ながら、奔走御供申上候――と述べたのがある。これは、将軍が破れ草履《ぞうり》をはいて、竹叢中の切っ株をもお構いなく走り回ったのを描いたのであろうが、下々の者が聞いても、よほどお頓狂の将軍であったとしか考えられなかった。と言う。
 趣味は、鵞鳥の追い回しから七面鳥へと移っていった。茶坊主に命じて町の鳥屋に七面鳥の上納を仰せつけさせた。
 ところが、折り悪しく鳥屋の手許に七面鳥がなかったので、その旨申しあげると将軍は甚だ不機嫌であった。一度ほしいとなると訳など申しあげても止まるものではない。
『天下を分けて、捜してまいれ』
 そこで、大奥では人手を分けて江戸市中を捜し求めた。ところが、灯台下暗しで、鍋島肥前守斉正の夫人盛姫つまり将軍家定の叔母が、七面鳥を飼っているのを、家来の誰かが聞き知って言上した。
『叔母に直接談判したところで、易々とは手離すまい。よし彼奴を強請《ゆす》るに限る』
 
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