んは立上って、
「いらっしゃいまし。」
 私の脱いだ下駄を見て、「お嬢さん、さぞ歩きにくかったでしょう。ちょっと直して上げましょう。」
 私は嬉《うれ》しくて、「どうぞ」とたのんで安心しました。丸太を組んで縄で結《ゆわ》えた手摺《てすり》に寄って眺めますと、曇っていてもかなり遠くまで見えます。田圃は青々と濃い絵の具で塗ったように見え、農夫たちが幾人か、起《た》ったり蹲《しゃが》んだりするのは田草取りなのでしょう。処々に水が光っています。隅田川《すみだがわ》も見えはすまいかと、昔住んだ土地がなつかしくて見廻しました。綾瀬を越して行くと向島《むこうじま》の土手になって、梅若《うめわか》や白髭《しらひげ》の辺に出るのです。お兄様はと見返ると、板張《いたばり》に薄縁《うすべり》を敷いたのに、座蒲団《ざぶとん》を肩にあて、そこらにあった煙草盆から火入れを出し、横にしたのを枕《まくら》にして、目を閉じて寝ていらっしゃいます。私は目の下に吹井戸《ふきいど》のあるのに気がついて、行って見たくてなりません。そっとお兄様の傍へ行って、
「きれいな吹井戸が下にありますが、見て来てもようございますか。」
 聞
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