き》の娘を棄《す》てたのです。その娘は私の学校友達でした。資産のある家でしょう、後にまた養子が来ました。それは優しい一方の人らしく、患者もあるようでしたから、きっと仕合せでしたろう。小六は妻になってから、二、三人子供が出来たらしく、後年私の子供が大学に這入《はい》った時、小六の子供もいるように聞きました。どんなお医者になったでしょう。
 今は都内の劇場が、ストリップショウの看板を掛けて人を呼び、雑誌の口絵にヌードがなければ売れないという時代です。こんなことも遠い遠い昔語りとなりました。
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   海屋の幅

『古書通信』の二月号に出ていた閑人閑語の「オキナのヘコヘコ」という条を見て、思わずほほえみました。貫名海屋《ぬきなかいおく》の「赤壁賦《せきへきのふ》」を訛《なま》ったというのですが、それを読んでまた遠い昔のことを思出しました。
 お兄様がまだ若くて、陸軍へ出られて間もない明治十五年頃でしたろうか、千住の家で書斎にお使いの北向の置床《おきどこ》に、横物《よこもの》の小さい幅《ふく》を懸けて眺めておられました。「流芳」の二字が横書にしてあります。ほかの幅と様子が違うので
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