も、主人に心配させるようなことは一切しませんでした。晩年は、世にある方たちには思いも寄らぬ少額の恩給だけでの生活でしたが、家内中の誰も、それを不足だとは思いもしませんかった。いわば主人は心が平《たいら》かだったので、それが保健上何よりの条件と思います。あの何事にも忍耐強かった兄が、身体の衰弱のためもありましょうが、晩年には時々|甲高《かんだか》い声も出されたと聞いた時には、身も縮むように思いました。
 けれども今になって、詰まらぬことは申しますまい。割合に短命だった一生に、兄はあれだけの仕事をせられたので、それが永久に残るのだと思えば、この上の満足はありますまい。本人も地下で微笑していられるでしょう。謹んで兄の冥福《めいふく》を祈りましょう。
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ながらへてまたかゝるもの書けるよと
    笑みます兄のおもかげ浮ぶ
命ありて思ひいだすは父と母
    わが背わが兄ことさらに兄
ゆきまして三十《みそ》とせあまりいつもいつも
    忘るゝ間なく君をこそおもへ
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  昭和三十年盛夏
[#地から3字上げ]小金井喜美子
[#改丁]

   くずもち
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