れたと驚くばかりですが、それにつけても、晩年にはもっと静養させたかったと、ただそれだけが残念です。晩年の頃に、たまたま尋ねますと、いろいろ心遣《こころづか》いをなさるので、それがお気の毒に思われてなるべく伺わず、伺っても長坐せぬようにと心懸けたのですから、その頃の動静はよく存じません。尋ねて帰宅してから、いつも主人と古い時代の頃の噂《うわさ》をしたことでした。
主人は兄より二歳の年長です。昔からの名代《なだい》の病人で、留学中に入院したこともあり、多くの先生方にも診《み》ていただきましたが、はかばかしくありません。その病症も不明なのです。帰朝後もその職に堪えられるかどうか案じられたほどで、誰もがいつ死ぬかとばかり思っていました。同僚中で結核の重症といわれた山極《やまぎわ》氏と、どっちが先だろうと較《くら》べられ、知人の葬式に顔を合わす度に、今度は君の番だろう、といわれるのは入沢《いりさわ》氏でした。
それがいつともなく快方に向い、知人の誰より長命したのですが、ただ一切あたりに心を使わず、体の動く間は研究室に通って、自分の思うことだけを心任せにしていたのがよかったのでしょう。家族の者
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