のは、エリスとのことでしょう。前にもいったように、北海道で発掘した人骨を詰めた荷物がつぎつぎと著きますので、それらは決して人任せにはせられません。どんな破片でも大切なのですから。但しそれで忙しいのは楽しみらしいのですが、今度のことは、私としては、兄のためというばかりでなく、父母のためにも、いいかえれば家の名誉のためにも尽力してもらいたいと思うのですから、主人の日々の食事にも気を附け、そろそろ寒くなるにつけて、夜は暖かにしてなどと気を配ります。もともと主人は洋行中から名代の病人だったので、ただ養生《ようじょう》一つで持ちこたえていたのでした。私が小金井へ来ました時、「よく評判の病人のところへよこしたなあ」と笑ったくらいです。今度のことは、すらすら運ぶ用事とは違いますから、主人も千住へ行くと、夜更けに車で送ってもらうのです。用談も手間取りますが、そうした中でも未開な北海道の旅行中に幾度も落馬したこと、アイヌ小屋で蚤袋《のみぶくろ》という大きな袋に這入《はい》って寝て睡りかねたこと、前日乗った馬が綱を切って逃げたために、土人と共に遠路をとぼとぼ歩いたことなどを話して、心配中の人々を暫時《ざんじ》でも笑わせなどしました。
日記にはなお賀古《かこ》氏と相談したともしてあります。賀古氏も定めし案じて下すったのでしょう。でも直接その話には関係なさらなかったようです。
十月十七日になって、エリスは帰国することになりました。だんだん周囲の様子も分り、自分の思違えしていたことにも気が附いてあきらめたのでしょう。もともと好人物なのでしたから。その出発については、出来るだけのことをして、土産も持たせ、費用その外の雑事はすべて次兄が奔走しました。前晩から兄と次兄と主人とがエリスと共に横浜に一泊し、翌朝は五時に起き、七時半に艀舟《はしけぶね》で本船ジェネラル・ウェルダーの出帆するのを見送りました。在京は一月足らずでした。
思えばエリスも気の毒な人でした。留学生たちが富豪だなどというのに欺かれて、単身はるばる尋ねて来て、得るところもなくて帰るのは、智慧《ちえ》が足りないといえばそれまでながら、哀れなことと思われます。
後、兄の部屋の棚の上には、緑の繻子《しゅす》で作った立派なハンケチ入れに、MとRとのモノグラムを金糸で鮮かに縫取りしたのが置いてありました。それを見た時、噂にのみ聞いて一目も見なかった、人のよいエリスの面影が私の目に浮びました。
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いさかい
門を静かに開けて、敷石を踏んで玄関にかかると、左は勝手へ行く道、右の荒い四つ目垣の中は花畑ですが、すがれ時《どき》で目に附く花はありません。格子戸《こうしど》の中では女中が掃除をしていました。
ふと早口の甲高《かんだか》い声と、静かな諭《さと》すような声が聞えます。こんなことがあるとは聞いていましたが、今が初耳でした。立って行こうとする女中を、手を振って止めて、「用事があって来たのではないのだから、取次がないで下さい」と小声でいうと、女中も心得たもので、そのままそこにいました。足音を忍ばせて門を出るまで、声はまだ聞えていたようでした。
門前は人通りもあり、車も往来しています。今そんな道を歩く気はしないので、すぐ向いの小路に這入《はい》りました。そこらの屋敷町をうねりうねり行って、薔薇新《ばらしん》の前を通ります。あまり人通りはありません。
歩きながら考えました。何のことか知りませんが、私にはただお兄様がお気の毒でなりませんかった。今日は土曜日ですから、昼前はお役所でしたろう。夜はまたきっと何かの会でしょう。それでなくても、いつも書きものは溜《たま》ってお出《いで》なのですから、大事な時を潰《つぶ》すというばかりでなく、そのお気持の悪さを思いやって、お機嫌の悪い時のお兄様の俯向《うつむ》いた額に見える太い脈を思浮《おもいうか》べるのでした。
がやがやいう子供たちの声を耳にして、気が附きますと、少しの明き地に大勢集って、地面に白墨で何か書いて遊んでいたのを、うっかり踏んでしまったので、「御免なさい」と詫《わ》びました。
吉祥寺《きっしょうじ》の横手の門まで来ると、かなりな家の葬式でもあるのでしょう、今日は開放《あけはな》しになっていて、印半纏《しるしばんてん》の男たちが幾人か立廻っていますし、人込《ひとごみ》を透かして、参道の左右に並べた造花や放鳥らしいものがちらちら見えます。通りへ出ると、表門の前には車が並んで、巡査が交通整理をしているようです。通りを横切って曙町《あけぼのちょう》に這入ります。会葬者らしいのがまだ続いて、寺の門へ向って行きます。左側に大きな材木屋があって、種々の材木が高々と並んでいます。人の噂には、もとこの辺で草取をしていた老婆があって、それが貯
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