みし》のようで、熟した実は赤黒くて、形は蒸菓子《むしがし》の鹿《か》の子《こ》そっくりです。飯事《ままごと》に遣います。蔓《つる》は皮を剥《む》いて水に浸すと、粘りのある汁が出て、髪を梳《くしけず》るのに用いられるというので美男葛の名があるのでした。一に葛練《くずねり》などともいいました。
地境の井戸はよい水でした。傍らに百日紅《さるすべり》の大木があって、曲りくねって、上に被《かぶ》さっています。母が洗い物をしていられる時、花を拾ったり、流しから落ちる水に蛙《かえる》がいるので、烟草《タバコ》の粉を貰って来て釣ったりします。花のある間が長いので百日紅といいます。
裏庭の梅林に小さな稲荷《いなり》の祠《ほこら》のあるのを、次兄が、開けて見たら妙な形の石があったというので、祖母にひどく叱《しか》られました。祖母は信仰も何もないのですが、昔気質《むかしかたぎ》ですから、初午《はつうま》には御供物《おくもつ》をなさいました。先住は質屋の隠居だったといいますから、その頃にはよく祭ったのでしょう。梅の盛りの頃には、花の間から藁《わら》屋根の見えるのがよい風情《ふぜい》でした。軒には太い丸竹の樋《とい》が掛けてありましたが、それも表側だけで、裏手にはありません。その際に高い五葉《ごよう》の松が聳《そび》えていました。私はその太い幹を剥《は》いでは、剥げた皮が何かの形に見えるといって喜んで、それを繰返して遊びました。暫《しばら》くすると、その葉色が悪くなり、弱りが見えて来ました。裏手ですから目立ちませんが、どうしたものかと案じました。父は、これは誰かのいたずららしいと、頻《しき》りに調べていられました。錐《きり》か何かで穴を明けて、鰹節《かつおぶし》などを差込んで置くと、そこから虫が附き始めるというのです。原因は知らず、木はやがて枯れてしまいました。
五葉の松の近くに裏木戸があって、そこに柳が糸を垂れています。表門の際のほどには大きくありませんが、風が吹くと横ざまに靡《なび》いて、あたりの木を撫《な》でるのでした。木戸を出るとすぐ田圃《たんぼ》です。曳舟通《ひきふねどおり》が向うに見えます。或年長雨で水が出て、隣の鯉屋の池が溢《あふ》れ、小さな鯉や金魚が流れ出たといって、近所の子供たちが大勢寄って来て、騒立《さわぎた》てたことなどもありました。
正面の庭の奥の、縁からは見えぬあたりに柿の木がありました。何という種類か知りませんが、葉の幅が広く、紅葉すると黄と朱と紅とが混って美しいのです。実は大きくて甘いのですが、喜ぶのは私と次兄とだけでした。家の横手にある無花果《いちじく》とその柿とが私の楽しみで、木蔭に竿《さお》を立てかけて置いて、学校から帰ると、毎日一つずつ落して食べました。鴉《からす》はよく知っていて、色づく頃にはもう来始めます。もっと熟すまで置きたいのですけれど。
表の方へ廻りますと、冠木門《かぶきもん》まで御影《みかげ》の敷石です。左の方はいろいろの立木があっても、まだ広々していました。後には、ここらが寂しいからと、貸家を二軒立てました。右の方で目立つのは芭蕉《ばしょう》でした。僅《わず》かの間にすくすくと伸び、巻葉が解けて拡《ひろ》がる時はみずみずしくて、心地《ここち》のよいものです。花が咲いて蓮華《れんげ》のような花弁が落ちますと、拾って盃《さかずき》にして遊びました。
見事なのは門前の柳でした。夏は木蔭が涼しいのですから、よく人が立止っては休んでいました。飴屋《あめや》などは荷を下して、笛を吹いて子供を寄せて、そこで飴細工をするのでした。狸《たぬき》や狐《きつね》などを、上手《じょうず》にひねって造ります。それに赤や青の色を塗り、棒に附けて並べます。大抵の子供は、丸い桶《おけ》に入れてある水飴を、大きく棒に捲《ま》いてもらうのです。色は濃い茶色をしていて、それがなかなか堅くて溶けませんから、子供には長く楽しまれるのでしょう。或時よその年寄が来て、立話をして帰るのを、母が送って出ましたら、門の際の生垣に挿してあった飴の棒を抜いて、しゃぶりながら行ったので呆《あき》れたといわれましたが、そんなに堅いのです。
家の中は押入が多くて、よく片附いていました。床《とこ》の間《ま》は一間《いっけん》で、壁は根岸《ねぎし》というのです。掛軸は山水などの目立たぬもので、国から持って来たのですから幾らもありません。前には青磁《せいじ》の香炉が据えてあり、隅には払子《ほっす》が下っていました。
兄が家にいられる時の机の上には、インキ壺、筆、硯《すずり》、画筆に筆洗などがあり、壁際には古い桐の本箱が重ねてありました。折れ曲った所のれんじ窓から、裏庭を越して田圃が見渡されます。遥《はる》か先に五代目|菊五郎《きくごろう》の別荘があると
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