し》ほどもある大きな玉を繋いだのが掛けてあり、前の方には幾段かの鐶《かん》に大小の数珠が幾つも並べて下げてあります。その辺まで鳩が下りています。
 お堂へ上る広い階段は、上り下りの人で押合いの混雑で、その中を分けて行くのです。大きな賽銭箱《さいせんばこ》へおひねりを投入れてお辞儀をするのはお祖母様のまねです。気が附くと兄様が見えません。あたりを見廻しましたら、お籤《みくじ》の並びにあるおびんずるの前に立っていられました。いつか字引で見ましたら、それは賓頭盧と書くので、白頭|長眉《ちょうび》の相を有する羅漢とありましたが、大勢の人が撫《な》でるので、ただつるつるとして目も鼻もない、無気味な木像です。それが不似合な涎懸《よだれかけ》をしているのは信者の仕業《しわざ》でしょう。
 高い欄間《らんま》に額が並び、大提灯《おおぢょうちん》の細長いのや丸いのや、それが幾つも下った下を通って裏の階段の方へ廻りましたら、「これから江崎へ行くのだ」とおっしゃいます。
「江崎へ?」
 私が目を見張りますと、「そうだ、お前の写真を撮るのだ。」
 私はびっくりして、口が開かれません。ただとぼとぼと附いて行きました。
 幾分古びた西洋|造《づくり》の家の入口を入りますと、幸いに外に客はありませんかった。
「この子を写して遣《や》ってくれ」とおっしゃいます。
「お兄様は」と聞きますと、「己《おれ》は嫌《いや》だ。」
 いつにないむつかしい顔をなさるのです。どうしようもありません。
 そこらにある写真を見ている中に、助手らしい人が出て、光線の工合を見るのでしょう、高いところの幕を延ばしたり巻いたりします。椅子《いす》の際に立たせて、後頭の辺を器具で押えます。気持の悪いこと。
 そこへ五十|過《すぎ》くらいの洋服の人が出て来ました。主人でしょう。黒い切《きれ》を被《かぶ》って、何かと手間取《てまど》ります。
 やっと終ってそこを出る時、「これから仲見世《なかみせ》だ、何でも買って遣るよ」とおっしゃるけれど、私はむっつりしていました。お母様と一緒だったのなら、きっと泣いたでしょう。何ということなしに窮屈なのです。大事なお兄様が優しくして下さるのに、偏屈な性質だから仕方がありません。
「何が欲しい」といわれても返事が出来ません。何もいらない、といいたいのを我慢していました。それでも仲見世にはいろいろ並んでいるのですから、ちょいちょい立止ります。
「簪《かんざし》かい、玩具《おもちゃ》かい」と、足を止められますので、入らないといっては悪いと気が附いて、小さなお茶道具を一揃い買ってもらいました。
「もっと何か」とおっしゃいます。
「また何か私の読める本でも買っていただきましょう。」
「うん、それもよかろう。今度は皆のお土産だ。」
 雷おこしや紅梅焼《こうばいやき》の大きな包が出来ました。
 雷門から車に乗って帰りましたら、まだ時間は早いのでした。祖母様はにこにこして、「まあ、こんなに沢山お土産を。お前は何を買っていただいたの。」
 そして私の出した包を拡げて見て、「これはこれは、見事なものだね。お雛様のお道具になるね。大事におしよ」とおっしゃいます。
 兄様が傍から、「こいつはほんとにしようのない奴だ。遠慮ばかりして、何も入らないというのだもの」といわれます。
「それで写真はどうだったの」と母が聞かれます。
「写しましたけれど、どんなだか。」
 幾日か過ぎて届いた手札形の写真は、泣出しそうな顔をしていました。
「どうしてこんな顔をしているのだろう」といわれて、「だって私、ひとりで心細かったの。」
 兄はこれを聞いて、「では、己《おれ》のせいだったかな」と笑っていられました。
 その写真が今あったらと、昔がなつかしく忍ばれます。
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   垂氷

 知人が持って来てくれた菖蒲の花を見て、遠い昔|向島《むこうじま》の屋敷の隅にあった菖蒲畑を思出しました。そこは湿地のためか育ちがよくて、すくすくと伸びますので、御節供《おせっく》の檐《のき》に葺《ふ》くといって、近所の人が貰《もら》いに来るのでした。根を抜くと、白い色に赤味を帯びていて、よい香がします。花は白、紫、絞《しぼり》などが咲交《さきまじ》っていて綺麗でした。始めに咲いて凋《しぼ》んだのを取集めると、掌《てのひら》に余るほどあります。畑はかなり広いのでしたから、それを取って染物をするのだなどといって、そこらを汚しては叱《しか》られたものでした。菖蒲じめという料理があります。ほのかな匂《におい》をなつかしむのです。
 菖蒲畑の側にある木戸から、地境《じざかい》にある井戸まで、低い四《よ》つ目垣《めがき》に美男葛《びなんかずら》が冬枯もしないで茂っていました。葉は厚く光っており、夏の末に咲く花は五味子《ご
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