あい》らしい中年の人が執事めいたことをしていられました。
 いつか、一年ほど過ぎました或日、お父様のところへ福羽氏のお手紙が来ました。珍しいことです。
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前略。
おきみ様事、東京女子師範学校中の高等女学校に募集致し候専修科と申《もうす》へお出し候はゞ如何哉《いかがや》。是《これ》は追々新聞広告に見え候通り、当月十五日|迄《まで》に願書|御出被下《おんだしくだされ》たく、右科中に英語、和文、音楽(○是は西洋ピヤノより舞踏まであり)、日本の琴も間にあり。右学ばせ候はゞ可宜《よろしかるべき》かなど考候。御考|承度《うけたまわりたく》、不取敢得貴意度《とりあえずきいをえたく》候。早々。
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    二月三日[#地から3字上げ]美静
   森静男様
    尚々皆様へ宜敷《よろしく》御願申候也。
 こんな不規則な稽古では仕方がないと、誰もいっていたのでしたから、すぐ願書を出しますし、洋行中のお兄様にも通知します。田舎育ちの者が、知人もない中央の学校へ受験に行くというのを案じたのでしたが、すぐに独逸から返事が来て、不合格でも心配するなとあったので、気が楽になりました。
 幸に入学しましたが、入学すると今までと違って、ぐずぐずしてはいられません。乗物の不自由な頃ですから、お祖母様と一緒に本郷の素人《しろうと》下宿に移り、そこから学校通いです。それでもう福羽邸通いはやめました。
 学校を終るとすぐに縁づきましたので、福羽氏にはいよいよ御疎遠になりましたが、事あるごとにお知らせだけはしておりました。
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御文細々拝見、先般も難有《ありがたく》候。皆々様、御安全めで度、くれぐれ御悦申上候。小生年賀にて森さまへさし上候事細々御示。御老人さまへは歓之事《よろこびのこと》難有存候。此度森さま御祝品御入念|痛入《いたみいり》候。御礼|御序《おついで》に御頼《おたのみ》申候。猶《なお》あなたよりも御祝之品に預り痛み入候。いづれ是《これ》より御礼|可申上《もうしあぐべく》候。扇子|丈《だけ》あり合《あわせ》を呈《ていし》候。御入手|可被下《くださるべく》候。御出張之先之事、御案も候半。森御老人之事、くれぐれ御案じ上候。猶ほあなた様方も御留守|者《は》嘸々《さぞさぞ》御配意と存じ申候。学士院之選挙人と申候。いかゞ相成候哉と存候。此方よりは出し置候事候。先は右一応之御礼迄申上候。匆々《そうそう》謹言。
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   七月四日[#地から3字上げ]美静
    小金井様参ル
     くれぐれ御用心専一に存候。かしこ
   尚々|出来合之団扇《できあいのうちわ》等御笑らんに入候。

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一寸《ちょっ》と文呈上候。秋暑之処御安全慶賀之|至《いたりに》候。扨《さて》先般は御来車|被下《くだされ》、且《かつ》御土産に預り候所、足痛にて御目にかゝり不申《もうさず》、失礼致候。其後御書面にも預《あずかり》候所、平臥《へいが》中|故《ゆえ》御無音申候。此節少々快方候、併《しかし》他出致し兼《かね》候まゝ御無礼|仕《つかまつり》候。此えり麁物《そぶつ》ながら呈上(○蘭の絵ハ御苑ニアル分ヲ写させ申候)。御笑留《ごしょうりゅう》被下度、外粗大なる冬瓜《とうがん》一つ御目にかけ申候。まづ過日之御礼迄|如此《かくのごとく》候。匆々謹言。
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   九月十日[#地から3字上げ]美静
  小金井きみ子さま参ル
 この二通の手紙は、一つは主人が北海道へアイヌ研究に出張した時のことらしく、時期も七月でしたし、当時お父様も工合が悪かったのでしょう。学士院云々もその頃のことでした。
 後の一通は、わざわざお使で私に下すったのです。半襟は新宿御苑《しんじゅくぎょえん》の蘭の花を染めた珍しいもので、幾十年を経てすっかり色はあせながら、今も手筥《てばこ》の中にあります。なお粗大な冬瓜とありますのは、全く珍しく見事な物で、親類中に分配していただきました。御養嗣逸人氏は園芸の研究家で、今世にもてはやされる福羽|苺《いちご》というのは同氏の創《はじ》められたものと聞きました。
 唯今私は二番町の親戚の家におりますが、昔伺った二番町の福羽氏の邸宅はどの辺かと尋ねても、知っている人がありません。何しろ半世紀どころか、七十年も前のことですから。
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   電話

 電話は文明の利器ですけれど、私どものように、いつも世に後れた家庭では、それほど利用もしないのでした。主人は、専門が解剖というためもありましょうが、諢名《あだな》を仙人と呼ばれ、新しいものは真先にという気風ではありませんでしたが、大学教授でしたので、電話は願出れば無償で引いてもらわれたのです。その電話の出来た始めの頃でした
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