十二番目のお子さんで、御兄弟が非常に多かったのでした。十三郎といわれ弟さんもありましたが、字はどう書くのか覚えません。この弟さんは、兄さんの温厚なのに似ず才気|煥発《かんぱつ》した方で、何か失行のあった時、名家の子弟であったためか、新聞に書立てられて、その方を鍾愛《しょうあい》なさる母上がひどく苦になさった時など、緒方氏は母上がお気の毒だといって、寝食を忘れるほどに心配なすったのでした。
 緒方氏がまだ十歳くらいの頃、大阪の家の広い庭で遊んでいられた時に、父上が厠《かわや》から出られたと思うと、手洗の所でひどく咯血《かっけつ》せられました。「それをただ立って、じっと見ていた」と話されたことがありました。父がないのだから母が思い遣られる、とよくいわれましたが、その母上は大勢のお子さんたちをお生みになって、気性のしっかりした方《かた》とのことでした。上のお兄様は陸軍の軍医になっていられ、兄が陸軍へ出るようになった始の頃に、地方へ検閲に行った時の上官で、一緒に写された写真を見ましたが、痩型《やせがた》の弱々しい風貌《ふうぼう》の人でした。
 賀古氏も緒方氏にも妹御《いもうとご》がおありなので、卒業後兄に縁談のあった時に、「あんなに仲よくしていたのだから、どちらの方でも貰《もら》って、ほんとの親戚《しんせき》になったらよかろうに」と、母が勧めたようでしたが、そのままになったのは、兄が承諾しなかったと見えます。卒業後|程《ほど》なく緒方氏は大阪へ帰られました。
 賀古氏と兄とは、終生真実の親戚以上の交際を続けました。賀古氏は陸軍の依託学生なのでしたから、すぐに陸軍に出られて、日清日露《にっしんにちろ》の両役にも出征し、予備役へ編入されてから病院を開《ひらか》れたのです。
 兄の洋行中、私が学校へ通うために、祖母と本郷の下宿に暫くいた頃に、賀古氏は病気で入院していられ、若い奥様が附添って世話をしていられました。そこへお見舞に行った祖母は、私へのおみやげというので、お菓子や果物を沢山いただいて来て、「林《りん》と同じに、孫のように思われる」といわれるのを私は笑ったことでした。その予後が思わしくなくて、一生片足を引かれるようになりました。さぞ御不自由のことでしたろう。
 私が小金井の人となりましたのは、賀古氏のお世話なのでした。兄は洋行中でしたから、帰った後にと両親は思っていましたのを、次兄の篤次郎と相談して、独逸へ電報で諾否を問合せて、ずんずん事を運んでおしまいになったのです。昭和四年の九月でしたが、或日|賀古《かこ》氏から私宛のお手紙が来ました。
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お天気が晴候まま、庫に入り古トランクをかきまわしたる所、こんな古書が出ました故、御手元へさし上げます。誠に御不沙汰《ごぶさた》いたします。漸《ようや》く涼しくなり候まま、近日御伺いいたします。九月十三日、鶴所。
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 中に兄からの電報が封入してありました。私の縁談の時のもので、こちらからは何とお打ちになったのか知りませんが、それには仏蘭西《フランス》語で、ただ「承諾」の一語があるのでした。電報用紙は桃色の縦四寸、横五寸余のもので、封筒にはいっています。千八百八十八年とありますから、随分古いものなのです。賀古氏の小川町の病院は震災に焼けましたが、蔵が一つ残りましたので、その中にあったものと見えます。
 次兄篤次郎は賀古病院で終ったのですが、その頃は随分お盛んのようでした。次兄の臨終の後で、私どもと夜の更《ふ》けるまで話していて下さるので、お疲れでしょうから、お休みになっては、と申しましたが、おはいりになりません。通夜をして下さるお心持と見えました。ちょうど長兄が旅行中で留守でしたので、幾分かそのためもあったのでしょう。
 病院が手狭《てぜま》と見えて、お住いは小石川|水道町《すいどうちょう》でした。召使を代えたいからとのお話で、旧|津和野《つわの》藩の人の娘をお世話したことがありました。幾度か事細《ことこま》かな書面を下さるのでした。その娘を連れて伺った時、お座敷に坐っていますと、お庭の中を流れる水の音が、さらさらと優しく聞えました。水道町ですから、水は御自由だったのでしょう。由緒のあるお家らしく、風雅な構えで、障子の腰張《こしばり》に歌が散らし書《がき》にしてありました。その折奥様にもお目にかかりました。賀古氏は常磐会に歌をお出しになるのでしたから、歌人にもお知合が多かったのでしょう。井上通泰氏などは特に御別懇のようでした。ずっと前に、私どもが滝野川《たきのがわ》へ散歩した時、まだ詰襟服《つめえりふく》の井上氏を連れて、掛茶屋《かけぢゃや》に休んでいられるのにお会いしたことなどもありますから、古いお知合だったのでしょう。
 賀古氏の父上は、割合に早く
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