です。二階は細い千本格子《せんぼんごうし》ですから、外はよく見えますまい。外から内はもとよりのことです。
市場の賑《にぎわ》うのは朝だけです。近在から集まる農家の人々は、前日から心がけて、洗い上げた野菜を前晩に荷造して車に積上げて、被《おお》いをして置き、夜の明方に荷を引出します。ですから寒中には、霜が荷の上に光るのです。前を引くのは皆屈強な若者たちですが、後押《あとお》しは若い女たちがします。一人ならず二人でもします。ちょいちょい坂もありますから後押も必要なのでしょうし、また毎日土にまみれて働く人々には、町中へ出るというのが楽しみでもあるらしく、女たちは皆小ざっぱりした支度で、足拵《あしごしら》えも厳重に、新しい手拭《てぬぐい》を被り、赤い襷《たすき》をかけて、ほの暗い道を、車を押して来るのでした。
私の家は北組といって、千住一丁目の奥深いところでしたけれど、まだあたりの白《しら》まない内から、通を行く車の音や人声が聞えます。五丁目から一丁目にかけては、市場へ行く重《おも》な道ですから、当然でもありましょう。北組をすぎて中組にかかると、市場も程近いというので、後押の人の中には引返して帰るのもあります。家にはまたそれぞれの仕事があるのでしょう。
あちらこちらから集った農夫と、買出しに来た商人たちとで、市場は一杯になります。声高《こわだか》に物をいい交し、あちこちと行違い、それはひどい混雑です。毎朝その市場の人込《ひとごみ》を分けて、肋骨《ろっこつ》の附いた軍服の胸を張って、兄は車でお役所へ通われます。混雑の中を行くために、幾分か時間のゆとりを見て置かねばなりません。少しは廻っても、外に道はなかろうかといいましても、人力車《じんりきしゃ》の通う道はないのです。
野菜は時節に依っていろいろと違いますけれど、何はどこの家と大抵は極《きま》っていたようです。時には灯が附いてから人の集まることもあります。新蓮根《しんれんこん》の出始めなど、青々した葉の上に、白く美しい根を拡げたのが灯に映《は》えて綺麗《きれい》ですが、それは一、二軒だけです。
野菜をせるのはなかなか威勢のよいものです。四斗樽《しとだる》ようの物を伏せた上に筆を耳に挟んだ人が乗って、何か高声に叫びますと、皆そこへ集まって来ます。それからは符牒《ふちょう》でしょう、何か互《たがい》にいい合って、手間《て
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