さんは、だんだん声高になり、無愛想にもなります。その人は、「どうかお薬をいただかして」と繰返しているようです、お母様が呼んで聞きましたら、「いえ、お宅に家伝のお薬があるでしょうといいます。そんなものはないといっても聞きません。それはあなたが知らないのです。年寄がそういいます。遠方からわざわざ来たのですから、先生のお帰りを待って戴《いただ》いて行くというのです。田舎の人は実に強情《ごうじょう》で困ります」と、さも不平らしくつぶやきます。
「まあそう一概にいわないで、気の済むようにして上げたいものですね」とお母様のおっしゃるのに、傍からお祖母様が、「それは『ろくじん散』をいうのではないかえ」といわれます。
「ほんとにそうかも知れません。聞いて見ましょう」と、その人に逢って聞きますと、やはりそうなのでした。
「よく聞伝えて来て下さいました。お年寄のおっしゃるのは御尤《ごもっと》もです、お国にいた時には随分出たお薬ですから。」
 書生さんはそっちのけです。まだ座敷の隅にある百味箪笥《ひゃくみだんす》――今は薬ばかりでなく、いろいろの品の入れてあるその箪笥から、古い袋を取出して、もう薬研《やげん》にかけて調合はしてあるのですから、ただ量だけを計って、幾包かを渡しますと、「さぞ年寄が喜びましょう」と、にこにこして帰りました。
 後で聞きましたら、それは何代目かの人の発明で、鹿の頭の黒焼を基にしたのだそうです。胃腸の薬で、持薬にするとのことでした。一藩中どこの家にも備えてあって、家伝の妙薬といわれ、あまりに需要が多いので、幾ら山国でもなかなか原料が間に合いません。山蔭に竈《かまど》を据えて、炭を焼くようにして、始終見廻るのでした。頼んだ人夫《にんぷ》に心懸けのよくないのがあって、そっと牛の頭を混ぜて持って来て、そのためにひどく面倒になったことがあるそうです。今もチャーコールなどというのがありますから、きっと効《き》き目があったのでしょう。
 車小屋が出来る時、板が間に合わないので、少しの間|葭簀《よしず》を引いて置きましたが、やがてそれを捲《ま》いたのが、片隅に寄せてありました。茶の間の前の軒に雀《すずめ》が巣をかけて、一日幾度となく、親雀が餌《えさ》を運びます。早く夕御飯をしまった私は、少しの米粒を小皿に取って、右の葭簀の一本を抜いて来て、その先に附けて巣のある辺へ出しましたら
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