お出かけです。私も一度だけ連れて行かれました。その時は浅草でした。私はお父様と一緒に家の車に乗り、書生さんたちはそこらで拾って乗ります。男ばかりだからと、黄八丈《きはちじょう》の著物《きもの》に繻子《しゅす》の袴《はかま》でした。お母様たちと出る時は、友禅のお被布《ひふ》などを著せられます。その日はまず江崎へ寄って写真を撮りました。それからそこらの料理屋へ這入って、皆にお飲ませになります。お父様は一猪口《ひとちょく》くらいしか召上らないので、私が口取《くちと》りを食べている傍で、皆の様子を機嫌よく見ていられます。車夫もその日は優待です。お母様のおみやげは折詰でした。
「当分はまた働いてくれるよ」と、後でお父様はおっしゃいました。出来て来た写真を見ますと、皆まじめな顔をして、袴をはいて並んでおり、私はおかっぱ頭を少しかしげて、お父様にくっついています。車夫は背が非常に高いので、端に立っているのが、鎗《やり》を立てたようだと、皆で笑いました。その写真は近年まで持っていましたが、今あったらさぞ面白いでしょう。
 私の通う小学校までは、一町ばかりです。二階建の校舎がまだ新しくて、さっぱりしていました。最上級でしたが、来る人は少くて、男生徒が五、六人、女は私を入れて僅《わず》か三人でした。一人は同じ町の外科病院の娘さんで内田さんといい、一人は千住《せんじゅ》名物|軽焼屋《かるやきや》の娘さんで牧野さんといいました。二人とも銀杏返《いちょうがえ》しに結っています。私一人は長く伸したおかっぱでした。
 その頃初めて縁日を見ました。学校の近くにある薬師様で、八日の縁日には賑わうのでした。近在から来ている女中の定が、目が少し赤いから、お薬師様へお参りしたいといいましたら、お母様は、「山本さんにお頼みして、お薬を拵えておもらいよ。だが、そこらが片附いたら、お参りはしてお出《いで》。賑かだろうから」とおっしゃったので、私も附いて行きました。
 夜は外へは出ませんでしたから、灯の一杯にともったのが綺麗でした。薬師は左の方なのですが、ひどく明るい右の方へ行きますと、道の右左ともに二階建の大きな家が並んでいます。それは貸座敷なのです。表二、三間は細い格子《こうし》になっており、中は広い座敷で、後は金箔を押した襖《ふすま》で、ちょうど盛粧をした女たちが次々と出て並ぶところでした。近寄らなくても、
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