格子の奥なのですから、ただ金色に輝いているだけで、はっきりとは分りません。広い畳敷の上に坐って、頭を垂れて念じ入っている人たちがあります。一間丸位の大太鼓があって、坊さんが附いているのはどんな時に打つのでしょう。格子の前の長さ一丈余もある賽銭箱《さいせんばこ》へ、絶間《たえま》もなくばらばら落ちるお賽銭は雨の降るようです。赤い大提灯《おおぢょうちん》の差渡し六、七尺、丈は一丈余もあるのが下っています。「魚がし」と書いてあったようでした。梁《はり》に掛けてある額には、頼政《よりまさ》の鵺退治《ぬえたいじ》だとか、一つ家の鬼女だとかがあります。立派な馬の額にも、定めし由緒があるのでしょう。濡《ぬ》らして打ちつけたらしい紙礫《かみつぶて》が、額の面一面に附いていました。太い円柱に弁慶の指の跡というのがあって、そこへ指を当てて見る人もありました。安産のお守《まもり》を受けたり、御神籤《おみくじ》を引いている人もあります。御賓頭盧《おびんずる》の前で、老人がその肩や膝《ひざ》を撫《な》でては自分のその処をさすることを繰返しています。その木像は頭の形はもとより、目も鼻も口も分らず、ただすべすべしているのは、どれだけの人にさすられたのでしょう。それに涎掛《よだれかけ》などのしてあるのは妙な恰好《かっこう》です。
お堂を降りた処には筵《むしろ》を敷いて、白髪の老婆のどこやら品のあるのが、短い琴を弾いて、低い声で何か歌っていました。小さな子が傍にいて、人の投げてくれる銭を拾います。琴は品のよい楽器で、立派なお座敷に似合うように思いましたのに、何という哀れな様子でしょう。琴糸は黄色なものと思っていましたのに、ひどく古びて灰色に見えますし、その音もさっぱり立ちません。前を大勢人が通るので、琴の上までひどい埃《ほこ》りです。お母様は、「お気の毒な」と、口の中でつぶやいて、そっと銭を筵の上に置かれました。
隣りには砂絵を画《か》く人がいます。その男の前には、砂が綺麗《きれい》にならしてあり、傍には大きいのや小さいのや五色の砂を入れた袋が置いてあります。人が集りますと、何やら口上《こうじょう》をいいながら、袋から一握りの砂を出して、人の方へ向けてずんずん書き始めますが、字もあり絵もあり、その器用なのに誰も感心いたします。若い女の姿などを画いて、著物の模様にところどころ赤い砂を入れます。その
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