度位は白髭《しらひげ》や梅若《うめわか》辺まで行って見ます。
 夏には流灯会がありますが、これは二、三日の間のこと、秋は百花園の秋草見物があり、「おん茶きこしめせ、梅干もさぶらふぞ」の招牌《かんばん》は昔ながらでも、それは風流の人たちが喜ぶので、小さな子たちには向きません。楽しみなのは渡しを向うへ越すことで、お休みの続く頃か、試験の済んだ跡などに連れて行ってもらいます。
 斜めの道を川の方へ下りますと、土手際に並んだ杭に、ざぶざぶと水のかかるところだけ苔《こけ》が真青に附いています。もやってある船に乗込んで、人の溜《たま》るのを待つ間はそわそわとして落ちつきません。やっと人が集ると、船頭が来て纜《ともづな》を解きます。「さあ出しますよ」と声を懸ける時、一度に、どやどやと乗込まれたりしますと、船がひどく揺れますから、小さくなってしゃがんでいます。
 川の真中へ出ると、船頭はゆっくり棹《さお》をさします。やっと落ちついて後を振返ると、土手の眺めがよいのです。花のある時は薄紅の雲が下りているようですし、人が混雑していても、遠くから見ては苦になりません。花を見ながら上下する屋根船もあります。花のない時も、桜若葉が青々と涼しそうに長く続いて、その間に掛茶屋の緋毛氈《ひもうせん》がちらちらと目に附きます。川には材木を積んだ筏《いかだ》が流れて来たり、よく沈まないことと思うほど盛上げた土船も通ります。下手《しもて》には吾妻橋《あずまばし》を通る人が見えます。橋の欄干に立止って見下している人もあります。そろそろ山の宿の方に近づきますと、綺麗に見える隅田川《すみだがわ》にも流れ寄る芥《ごみ》などが多く、それでも餌《えさ》でも漁《あさ》るのか、鴎《かもめ》が下りて来ます。
 岸へ上った辺は花川戸《はなかわど》といいました。少し行くと浅草|聖天町《しょうでんちょう》です。待乳山《まっちやま》の曲りくねった坂を登った上に聖天様の社があって、桜の木の下に碑があります。また狭い坂を下りると間もなく、観音様の横手の門へ出ます。その辺にはお数珠屋《じゅずや》が並んでいたようです。まず第一にお参りをしようとお母様にいわれて、十八間《じゅうはちけん》というお堂へ上ります。大勢の人々に毎日踏まれて、板敷《いたじき》はすっかり減っています。御本尊の安置してある辺は暗くて、灯が沢山附けてはありますが、真黒な
前へ 次へ
全146ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小金井 喜美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング