私は信じて居るのであるが、支那人の大切にする古代の文字の拓本は、即ち歴代の東洋美術の遺品であると考へ直して見て貰ひたい。これだけのことは、文字の拓本の美術的價値について、取敢へず申述べて見たのであるが、なるほど東洋で珍重された拓本は、これまでは、むしろ文字のあるものに片寄り過ぎて居たかも知れなかつた。しかし近頃は大同とか、天龍山とか、龍門とか、或は朝鮮や日本内地の石佛、又は其他の造型美術の拓本を作ることが行はれて來て、それが我が國の現代の學者、美術家、ことに新興の畫家、彫刻家に強い刺戟を與へて居ることは、目覺しい事實である。それから又、漢魏六朝から唐宋に及ぶ幾千の墓碑や墓誌の文章は其時代々々の精神や樣式を漲らした文學であり、同時にまた正史以上に正確な史料的價値を含んで居ることをよく考へて見なければならない。こんな事を私が今事新しく述べ立てるまでもなく、いやしくも今日眞面目に學問をやつて居る人の間に、拓本の功果を疑つて居る者は無い位の趨勢にはなつて居るのであつて、私の友人の或る學者は拓本する事と、寫眞を撮ることゝ、スケッチをすることの出來ぬ者は考古學や歴史を研究する資格が缺けて居ると、京
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