都大學の學生に教へて居るさうであるが、これは私も全然同感である。寫眞が立體的に奧行きをも寫すのに對して、拓本の平面的なことは一つの短所であらうが、寫眞が實物より小さくなる場合が多いのに、拓本はいつも實物大で、しかも實物とわづかに濡れ紙一重を隔てたばかりの親しみの深い印象を留めて居る。拓本が持つ此強い聯想は到底寫眞の企て及ぶところでない。
 話が前へ戻つて繰り返へすやうになるけれども、日本の金石文の拓本のことについて云つてみても、正史であるところの日本書紀の記載に間違ひのあることが、法隆寺金堂の釋迦像の銘文や藥師寺の東塔の※[#「木+察」、第4水準2−15−66]の銘文から知られて來たといふやうなことは、今となつては誰も知る事であるが、此所に一つ面白い例がある。それは私は今、昔奈良の東大寺にあつた二つの唐櫃の銘文の拓本を持つて居るが、其櫃の一つは今は御物となつて正倉院にあるが、他の一方はもう實物は此の世の中から失はれたものと見えて、正倉院にも何處にもありはしない。ところがその失はれた唐櫃の銘文の拓本が私の所にあるといふわけだ。即ちその唐櫃は天にも地にも唯一枚の此拓本によつてのみわづかに存
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