》多く出でたるは陸奧龜ヶ岡なり。
    ●土版
土版には長方形《ちやうはうけい》のものと小判形《こばんがた》のものとの二種有り。用法《ようはう》詳ならずと雖も、恐《おそ》くは[#「恐《おそ》くは」はママ]身の護《まも》り又は咒《まじな》ひの具|抔《など》ならん。中には前述の土偶《どぐう》との中間物の如きものも有り。從來《じうらい》發見《はつけん》されたる土版の出所は左の如し。圖《づ》に示《しめ》す所は武藏北足立郡貝塚村より出でしものなり。
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武藏荏原郡大森貝塚
同   郡上沼部貝塚
同北豊島郡小豆澤貝塚
同   郡西ヶ原貝塚
同北足立郡貝塚村
同   郡小室村
同南埼玉郡[#「南埼玉郡」は底本では「南崎玉郡」]黒谷村
常陸河内郡椎塚貝塚
下總東葛飾郡國分寺村貝塚
陸奧南津輕郡浪岡村
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    ●貝殼器
はまぐりの如き貝殼《かいがら》は自然に皿形《さらがた》を成し、且つ相對《あひたい》する者二枚を合する時|葢《ふた》と身との部さへ具《そな》はるが故に物を貯《たく》ふる器とするに適《てき》したり。我々は是に膏藥《こうやく》の類を入るる事有れどコロボツクルは之を以て繪《ゑ》の具《ぐ》入れとせしなり。赤色《あかいろ》の繪《ゑ》の具《ぐ》を入れたる儘《まま》のはまぐり貝は大森|貝塚《かいづか》より數個|發見《はつけん》されたり。
はまぐり貝は又物を掻《か》き取るに適《てき》したり。魚鱗《ぎよりん》の充《み》ちたる儘《まま》のもの貝塚《かいづか》より出づる事有り。
貝塚《かいづか》發見《はつけん》物中に猪の牙を細《ほそ》く研《と》ぎ※[#「冫+咸」、87−下−14]《へ》らしたるが如き形のもの有り。其用は未だ詳ならざれど、明かに貝殼《かいがら》の一つなり。最も細《ほそ》く作られたるものは其|原料《げんれう》甚だ見分《みわ》け難けれど稍《やや》太《ふと》きもの及び未成《みせい》のものを列《つら》ね考ふれば、あかがひの縁《へり》の部分《ぶぶん》なる事を知るを得。發見地《はつけんち》は常陸椎塚、武藏上沼部、箕輪及び東京谷中延命院|脇《わき》の貝塚《かいづか》なり。
    ●植物質器具
植物質《ちよくぶつしつ》のものにして今日迄に石器時代遺跡《せききじだいいせき》より發見されたるは菱《ひし》の實《み》、胡桃の實《み》、及び一種の水草《す
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