》たるか未だ詳《つまびらか》ならずと雖も、間々|製作《せいさく》の巧妙《こうめう》精緻《せいち》なる物有るを以て見れば甲の考《かんが》への方實に近からんと思《おも》はる。物質《ぶつしつ》の異同は有れど、小偶像《せうぐうぞう》を作りて禮拜《れいはい》の目的物《もくてきぶつ》とし又は身の護《まも》りとする事|野蠻未開人民《やばんみかいじんみん》中其例少しとせず。貝塚《かいづか》即ち石器《せきき》時代人民の掃《は》き溜《だ》めより宗教上《しうけふじやう》の物を發見《はつけん》すとは如何にも誠しからず聞こゆべしと雖も、一定《いつてい》の時日を經《へ》たる後、或は一定の祭祀《さいし》を終りたる後は、偶像《ぐうぞう》の利益|功力《こうりよく》を失ふと云ふが如き考《かんが》へは存し得べき事にして、尊崇《そんすう》すべき物品が食餘《しよくよ》の汚物《おぶつ》と共に同一所に捨てられしとするも敢て怪《あやし》むべきには非ざるなり。土偶《どぐう》の頭部《たうぶ》或は手足部《しゆそくぶ》の欠損《けつそん》せる事常なること、恐くは一種《いつしゆ》の妄信《もうしん》の爲、故意に破壞《はくわい》せるに由るならん。土偶《どぐう》の用は信仰上《しんこうじやう》に關係《くわんけい》有りと假定するも、尚ほ實在《じつざい》の人の形を現《あらは》したる物か、想像上《そうぞうじやう》の神の形を示したる物かとの疑問《ぎもん》有らん。此事に付きては後段《こうだん》別《べつ》に述ぶる所有るべけれど、土偶の形状《けいじやう》はコロボツクル日常の有樣《ありさま》を基《もと》として作りしものならんとの事丈《ことだけ》は此所《ここ》に記し置くべし。土偶中には裸体《らたい》の物有り、着服《ちやくふく》の物有り、素面《すめん》の物有り、覆面《ふくめん》の物有り、冠《かむ》り物の在る有り、無《な》き有り、穿《は》き物の在る有り、無《な》き有り、上衣《うわぎ》と股引《ももひき》とには赤色《あかいろ》の彩色《さいしき》を施したるも有るなり、圖中|下段《げだん》右より二つ目に畫《ゑが》きたるものは裸体土偶《らたいどぐう》の一例にして出所は常陸椎塚貝塚、所藏主《しよぞうぬし》は理科大學|人類學《じんるいがく》教室なり。左に土偶|發見《はつけん》國名表を掲《かか》ぐ。
渡島、陸奧、羽後、磐城、岩代、下總、常陸、武藏、信濃、就中《なかんづく
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