の出所《しゆつしよ》は岩磐新地貝塚なるが、其用《そのえう》は恐《おそ》らくエスキモーの所用《しよやう》の者と等《ひと》しく銛《もり》の先に着《つ》けて海獸《かいじゆう》大魚《たいぎよ》を打ち留《と》むるに在りしならん。類品《るゐひん》は北海道《ほくかゐだう》レブン島よりも出でたり。獸骨器の右《みぎ》に畫《ゑが》きたるは魚骨器なり。上端《じやうたん》の孔は糸を貫くに適《てき》したり。思《おも》ふに此骨器は粗《あら》き物を縫《ぬ》ひ合はする時に針《はり》として用ゐられしならん。類品《るゐひん》は他《た》より出《い》でたれど此所《ここ》に掲《か》げたるものは武藏荏原郡大森貝塚より出でたるなり。骨器の類は此他種々|有《あ》れど煩《はん》を厭《いと》ひて記《しる》さず
●角器牙器
石器時代|遺跡《ゐせき》よりは又《また》鹿《しか》の角《つの》にて作りたる噐具《きぐ》も出づ。魚骨器の右《せき》に畫きたるは其一例《そのいちれい》にして、發見地《はつけんち》は相模[#「相模」は底本では「相摸」]三浦郡|久比利《くびり》貝塚なり。用《やう》は大魚《たいぎよ》を釣《つ》るに在りし事《こと》何《なん》の疑《うたがひ》か有らん
角器の上《うへ》に畫きたるは猪の牙を摩り※[#「冫+咸」、83−上−24]らして作《つく》りたる矢《や》の根形《ねかた》の利噐《りき》なり。此品《このしな》は常陸河内郡椎塚より出でたるものなるが是《これ》と同樣《どうやう》の品《しな》は大森貝塚よりも發見《はつけん》されたり。思《おも》ふに此利噐《このりき》は前に掲《かか》げたる獸骨器と等《ひと》しく、銛《もり》の尖端《せんたん》として用ゐられしものなるべし。
以上の骨器角器牙器は燧石の角にて疵付《きづつ》くる事と、砥石の類に摩《す》り付《つ》くる事とに由りて作《つく》り上げしならん。圖中に畫《ゑが》きたる石器骨器角噐牙噐は皆理科大學人類學教室の藏品なり。
●土器
石器時代遺跡より發見《はつけん》さるる土器《どき》は四部に大別するを得。
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(第一)飮食物其他の諸品《しよひん》を容《い》るるに適したる噐。(之を容噐と呼ぶ)
(第二)裝飾《そうしよく》として身に帶《お》びしが如きもの。(之を裝飾品と呼ぶ)
(第三)人の形《かたち》に造《つく》られたるもの。(之を
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