等《これら》は皆現今用ゐらるるものの例なれど、古代に在ても地方《ちはう》に由り人種に由つては種々樣々《しゆ/″\さま/″\》なる住居《ぢうきよ》有りし事疑ふべからず。コロボックルは如何なる種類《しゆるゐ》の住居を有《いう》せしや。之をアイヌ間に存する口碑に徴《ちやう》するに、コロボックルは土を堀り窪めて低所《ていしよ》を作り、木の幹《みき》枝《えだ》を以て屋根の骨とし、之を草木《さうもく》の葉にて覆ひて住居とせしものの如し。
アイヌが指《さ》してコロボックルの遺跡《ゐせき》なりとするものは何れも竪穴にして、其廣《そのひろ》さは疊二枚敷より五十|枚敷位《まいじきぐらゐ》に至り、深さは通例五六尺位なり多《おほ》くの年月を經《へ》て斯《か》かる有樣と成りしもの故其始めは更に廣《ひろ》く更に深《ふか》かりしならん。是等の竪穴《じゆけつ》がコロボックルのものたる事、即ち石噐時代人民《せききじだいじんみん》のものたる事は口碑《こうひ》のみに由つて推測《すゐそく》するに非ず、土中の發見物《はつけんぶつ》に由つて確知するを得《う》るなり、北海道諸地方現存の竪穴よりは石器時代土器石器の破片出づ。此事は余自らも釧路《くしろ》に於て實見《じつけん》せり。
農學士石川貞治氏の調査《てうさ》に從へば北海道本島中竪穴の存する地方は次の如し。後志[#「後志」に傍点]國余市郡余市村、同郡河村、同國|忍路《オシヨロ》郡忍路村、同國高島郡手宮、石狩[#「石狩」に傍点]國札幌郡札幌、同郡圓山村、同琴仙村、天※[#「(土へん+鹵)/皿)」、70−下−3][#「天※[#「(土へん+鹵)/皿)」、70−下−3]」に傍点]國|留萠《ルルモツベ》郡留萠、同郡オビラシベツ、同國苫前郡オンネシヨサンベツ、同郡風連別、同國天※[#「(土へん+鹵)/皿)」、70−下−4]郡天※[#「(土へん+鹵)/皿)」、70−下−4]村、北見[#「北見」に傍点]國枝幸郡枝幸村、紋別郡|雄武《オオム》川筋、同郡サルマ湖南岸、同國|常呂《トコロ》郡常呂村、同國網走郡能登呂山道、同郡網走市中及四近、根室[#「根室」に傍点]國野付村|標津《シヘツ》西別間、花咲郡半田牛、釧路[#「釧路」に傍点]國釧路郡釧路、同郡釧路白糠間、セチリ河筋ピラカプト、同フシコタン、釧路郡トウロ、同國川上郡トウベツ川口、十勝[#「十勝」に傍点]國白糠郡尺別村、十勝河河
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