恋とは夢だ。……「夢」とは全《まった》き放心だ。その正しい極限では一切が虚無となる。一切が存在しなくなる。それは未来|永劫《えいごう》を一瞬に定着する詩人の凝視を形成する場所だ。真実の詩《うた》とはそこに生れるのだ。その虚無の場を不安と観ずるべからず、法悦《ほうえつ》の境と信ずべし、だ。そこに生ずる悲哀よりも歓喜よりも、何よりもそこに存する真実の詩《うた》をこそ尊ぶべきだ、と僕は思う。……清原、恋をしたまえ。一切を捨てて恋に酔《よ》いたまえ。
清原 有難う。
文麻呂 敷島《しきしま》の日本《やまと》の国に人二人ありとし念《も》わば何か嘆かむ、だ。……………知ってるかい、清原。
清原 む。……万葉、巻十三、相聞《そうもん》の反歌だ。
文麻呂 恋とはああ云うものだよ。僕はそう信ずる。恋とはただ一つの魂を烈《はげ》しくもひそかに呼び合うことだ。僕はそう信ずる。あの巷《ちまた》にあれすさんでいる火遊びの嵐はどうだ。あんなものは何が恋だ。あんなものは不潔な野合《やごう》だ。……汚らわしい惰遊《だゆう》だ。
清原 石ノ上、……僕の場合に限って、あんな汚れた気持は微塵もないって云うこと、……君、信じ
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