」に傍点]の一種だ位にしか考えていないようではないか。それでは何にもならない。……元来、この葵と云う花は、必ず太陽の方に向って咲く、云わば陽の花だ。それだからこそして、悪いやまいや怨霊《おんりょう》を払う不思議な力があるのだ。それをみんな弁《わきま》えないで、ただもう、あたり前の習慣だ位の気持でくっつけているから、その弱みにつけ込んで、わざわいがふりかかって来るのだ。だから、やれ、西の空に「ふそう雲」が現れたと云ってはうろたえ、「ほこ星」が光り始めたと云っては、恐ろしがる。それでは、この当世に生きる者として、誠に不甲斐《ふがい》のない話ではないか。云わば我々|陰陽《おんよう》の道にたずさわる者は、そう云う迷《まど》える魂を、現《おつつ》の正道に引戻してやろうと云うわけなのだ。
男10[#「10」は縦中横] (突然、立止って耳を澄まし)先生!……あの声は、あれは一体何でございましょう?
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右手奥の方から、多勢の行者達の魂《たま》ごいの行《ぎょう》の呼ばい声が不気味に聞えて来る。
たくさんの鈴の音が、ちゃりんちゃりんとそれに調子を合わせて、何やら幻妙な響きを遠くから伝えて来る。だんだん明瞭《めいりょう》に聞えて来る。
吐菩加美《とほかみ》 ほッ 依身多女《えみため》 ほッ
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
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男9 おう。……あれは魂《たま》ごいの験者《げんじゃ》どもが、どこぞの山へ、山籠《やまごも》りの行に出掛けて行くのだ。誰やら神隠しにでも遭《お》うた人々のあくがれ迷う魂を尋ねて、山へ呼ばいに行くところなのだ。
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左手から右手へ、都の子童《こわくらべ》が二三人「験者だ! 験者だ! 山籠りの験者がたくさん行くぞ!」などと呼びながら、駆けって行く。左手から右手へ急ぎ足で見物に行く人達がだんだん多くなる。
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男10[#「10」は縦中横] ああ、そう云えば、大原野の巫女《みこ》になるはずだったと云う娘が、去年の賀茂《かも》の祭の日に突然神隠しに遭ってからと云うものは、あっちにひとり、こっちにひとりと都の童児《わくらべ》どもが、五人も六人も行方《ゆくえ》わからずになって、それっきり一向帰って来ないと云うことを聞いています。あれは大方、それの神よばいなのでしょう。
男9 うむ。……今年も、物忌を怠って、誰ぞまた神隠しにかからなければよいがな。現に西の空の雲気は確かにわざわいのきざしをあらわしているのだ。
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人々ががやがやと集って来て、そこら辺に立ち呆《ほう》けて、右手奥の方を眺めている。験者達の呼ばい声、鈴の音は、次第次第に熱ばんで来る調子。
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
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男10[#「10」は縦中横] あの大原野の巫女の嬢子《じょうし》については、誰もつまびらかに顔さえ見たことが無いと云うのに、まあ、縁起のよくない噂話が色々とつきまとっていましたようで、何でも、その家は宇佐《うさ》の神人《じんにん》の亡び残りだったそうでございます。その嬢子の親御で何とか云う老人がまだ生きていた時分は、もう人の顔さえ見れば、愚にもつかぬ夢物語を真《まこと》しやかにふりまいていたと云うので、世間からはまるで物狂《ものぐる》い扱いにされておりました。その人の物語を終《しま》いまで聞いたものは立ちどころに神隠しにかかってしまうなどと云う噂もあって、都の人達は顔さえ見るのも恐しがっていたようでした。
男3 (男10[#「10」は縦中横]の話につり込まれて、質問する)あの、神隠しの子供達は、その後どこぞで見付かりましたのですか?
男10[#「10」は縦中横] いいえ。あのまま、一向行方わからずなんだそうです。
女1 恐しいことでございますわね、今日も、また何か縁起の悪い啓示《しるし》が空にあらわれたと云っていますから、充分に気を付けないと、いつどんなことが起るかも分りませんわ。
女3 本当にねえ、せっかくの賀茂《かも》の祭だと云うのに、お社《やしろ》にも詣《もう》でないうちから、まあまあ、気味の悪い声を聞くこと。
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吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
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女2 何だかあの声はだんだんとこの世のものとも思われぬ調子になって行くではありませんか。……あの調子ではきっともうす
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