ひっこみがてら)まあ、まあ、あのなよたけの奴め、田舎娘のくせして、暇《ひま》さえあれば、まあ、簾《すだれ》のかげで古琴なんぞ弾いて、あれで気取った積りなのでござります。
御行 (居間の端に腰を掛けながら)あ、それから、お爺さん。……これはなんですが、なよたけの素性も私の素性も、露顕《ところあらわし》の式でも済むまでは絶対に秘密にして、誰にも知らさぬようにお願いしますぞ。
造麻呂 (怪訝《けげん》そうに)……へえ、ま、……
御行 いや、別にこれはどうと云うわけもないのですが、ただあのようにうるわしいなよたけをしばらくは皆のものに秘密にしておいて、三日の餅《もち》でも祝って、立派な奥《おく》の方《かた》になってから、公然と皆のものを羨《うらやま》しがらせようと云う気持なのです。……葵祭《あおいまつり》の日あたりにでも、お迎えの車をこちらに寄越せたら、……と思っています。
造麻呂 へえ、……何分と宜《よろ》しくお願い致しますでござります。……どうも手前、田舎者でございまして、さようなことはとんと勝手が分らぬもので、……(大仰《おおぎょう》に右手を指し)では、なよたけを呼んで参りまする。……(右に退場)
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なよたけの琴の音、ぴたりと止む。……
同時に土間の敷居《しきい》の所に、石ノ上ノ文麻呂と、清原ノ秀臣が凜然《りんぜん》として立っている。
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文麻呂 大納言殿! 忍びの恋路のお邪魔立てして申訳ありませぬ!
御行 (愕然《がくぜん》として立上る)誰だ!
文麻呂 石ノ上ノ綾麻呂の息、石ノ上ノ文麻呂!
清原 (少々震え声で)……大学寮学生、清原ノ秀臣!
御行 (狼狽《ろうばい》して)何しに来た!
文麻呂 (凜然と)道ならぬ不義の恋路に身をやつしておられる大納言殿を、お諫《いさ》め申しに参りました!
御行 (興奮して、大喝《だいかつ》する)生意気《なまいき》を云うなッ!
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とたんに、右手なよたけの部屋の方から、彼女のヒステリックな叫び声が聞えて来る。……
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なよたけ (声のみ)嫌《いや》です! 嫌です! そんなこと、あたし嫌です!……
御行 (狼狽の極。しばらくは全く惑乱《わくらん》状態。……ややあって、大声で右手に叫ぶ)爺!……葵祭の日にまた参るぞ!……葵祭の日に迎えを寄越すぞ!
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大伴ノ御行、土間の外に立っている二人を突き飛ばさんばかりの勢いで、倉皇《そうこう》として、左方へ逃げ去る。
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造麻呂 (右手奥からよろめくように出て来る)大納言様! 大納言様!……おや! あんた方は一体誰だい?
清原 大学寮学生、清原ノ………
文麻呂 お爺さん! 落着いて下さい! 何もそうあわてることはありません! 僕達はあなたの娘さんを助けにやって来たんです………
造麻呂 (上《うわ》の空で草履《ぞうり》をつっかけ、外に出る)おや! 大納言様がいらっしゃらぬ!……大納言様はどうなすったんです! 大納言様はどこへ行かれたのです! ああ、せっかくの娘の出世が台無しだ! (叫ぶ)大納言様! 大納言様! 大納言……
清原 (全く逆上して)あ、あっちの方です……あっちの方へ行かれました。
文麻呂 お爺さん!
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造麻呂、人の云うことなど全く耳にも入らず、大納言の後を追って、よろめくように左方へ退場。しばらくは「大納言様! 大納言様!」と呼ぶ声。
やがて、舞台は急に大風一過。不気味なほど、寂然《せきぜん》とする。
文麻呂も清原も、まるで空《うつ》けたように、呆然として、立ちつくしている。
舞台はしばらくそのまま。………
やがて、あたりには、再び次第次第に緑の木洩日《こもれび》がきらきらと輝き始める。それに従って、思い出したようにまた小鳥が遠近《おちこち》で囀《さえず》り始めた。
なよたけ、右手奥の部屋から、かすかにすすり泣きながら、静かに姿を現わす。草履をはいて、土間の外に出る。
二人の青年が立っているのに気付き、瞬間、身じろぎをするが、つと逃げ去るように小路の方へ行く。……二人に背を向けて、悲しげに泣きじゃくっている。文麻呂は初めて見るその美しい姿に恍惚《こうこつ》としてしまう。
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文麻呂 (静かに、背後からなよたけの方に近付き、優《やさ》しく慰《なぐさ》めるような声で)……なよたけ。……もうお泣きになることはありませんよ。
清原 (震《ふる》え声)なよたけ。……
なよたけ (くるっ[#「くるっ」に傍点]と振向
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