まあ、大納言様ともあろう御方が、忍ぶ恋路のなんとやら、………いやもう大変な忍びのいでたちで、ついこの先の竹林の奥に住んでいる竹籠《たけかご》作りの爺《じい》の娘におふみをつけようとなさっているのを、手前この目ではっきり見てしまいました。
文麻呂 (きっ[#「きっ」に傍点]となって)なにッ!
瓜生ノ衛門 (少々驚いて)おふみでございます。
文麻呂 いや、そんなことじゃない! 相手はどこの娘だと!
瓜生ノ衛門 竹籠作りの爺の娘でございます。この造麻呂《みやつこまろ》と云う爺は手前も少しは存じている男でござりまするで……
文麻呂 名前は何て云うんだって!
瓜生ノ衛門 讃岐《さぬき》ノ造麻呂でございます。
文麻呂 (苛立《いらだ》って)爺じゃないよ! 娘だ!
瓜生ノ衛門 娘の名は、たしか……さよう、……なよたけとやら申しました。
文麻呂 何ッ! なよたけ!
瓜生ノ衛門 (あまりに烈しい語気に呆気《あっけ》にとられる)
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丘の上にはいつの間にやら、清原ノ秀臣が悄然《しょうぜん》として佇立《ちょりつ》している………
その豊かにたれた直衣《のうし》の裾《すそ》は烈しくも風にはためいている。不穏な竹林のざわめき。………
[#ここで字下げ終わり]
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文麻呂 (丘の上の友の姿を認め)おい! 清原!……どうした!
清原 (泣かんばかりの悲痛な声で)石ノ上!………駄目だ、僕は。……僕はなよたけを怒らしてしまった。なよたけは怒って家の中に駆《か》け込んでしまった。………
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文麻呂は身も軽々と丘の上に駆け上り、清原ノ秀臣の手をしっかりと握りしめる。風にはためく二人の直衣の裾。……風の音。竹林の烈しいざわめき。
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文麻呂 元気を出せ! 清原! 元気を出すんだ! なよたけと貴様の恋は死んでもこの俺《おれ》が成就《じょうじゅ》させるぞ!……親父の名誉にかけて俺は誓う!
清原 石ノ上、有難う。……だけど、僕はもう駄目だ。……なよたけは本当に怒ってしまったんだ。………
文麻呂 何が駄目だ! おい、しっかりしろ! 勇気を出すんだ! そんなことでへなへな気が挫《くじ》けるようでどうする。……戦いはこれからだぞ。清原! 貴様の恋敵が分った! 貴様の恋敵だ! 誰だと思う?
清原 恋敵?
文麻呂 そうさ、清原。……貴様の手からなよたけを奪いとろうとしている憎むべき男がひとりいるのだ。
清原 (その言葉にきっとなり、………むしろ傲然《ごうぜん》と)それは誰だ!
文麻呂 大納言、大伴ノ御行だ。
清原 えッ!
文麻呂 (快心の微笑をもって)大伴の大納言様だよ。
清原 (全身の力、一時に消滅し、気絶するもののごとく、文麻呂の胸によろよろと倒れかかる。………)
文麻呂 (支えながら、狼狽《ろうばい》し)おい。清原! 清原! 清原!……衛門ッ!
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烈しい強風の中に………
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[#地から1字上げ]――幕――
第二幕――一幕より数日後
第一場
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幽麗《ゆうれい》なる孟宗《もうそう》竹林を象徴的に描いたる上下幕の前で演ぜられる。
石ノ上ノ文麻呂、清原ノ秀臣、右手より登場。
清原ノ秀臣は文麻呂の後に従って、何やらそわそわと、ひどく落着きがない。云わば、気もうつろである
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文麻呂 全く、こりゃすごい竹林だ。……これじゃ、方角も何も皆目《かいもく》分ったもんじゃないね。……大体、我々はこれで確かになよたけの家の方向へ進みつつあるのかい? 清原。……本当に確かなんだな?
清原 確かなんだ。
文麻呂 確かにこの竹林なんだろうな?
清原 これなんだ………
文麻呂 (頼りな気に)で、……なにかい? だいぶあるのかい、まだ?
清原 もうすぐなんだ。……あっちの方なんだ。
文麻呂 それなら、もういい加減にそろそろ見えて来てもいい頃じゃないか?
清原 ……ん、……でも、なよたけの家は竹林の真中にあって、竹で出来てるんだ。……だから、すぐ傍《そば》まで行かないと見えないんだ。
文麻呂 ふーん?……保護色なんだね?
清原 ん、……そうなんだ。
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文麻呂は清原の煮《に》え切らぬ態度を不愉快《ふゆかい》に感ずる。励ますように………
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文麻呂 どうだい、清原。それじゃこうしようじゃないか。つまり、なんだよ、……大納言がやって来るまでにはまだ少しばかり間がありそうだから、しばらく我々はここに腰を落着けて、待伏せしていようで
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