字下げ]
けらお 文麻呂! なよたけはあんなあな[#「あんなあな」に傍点]だ! 文麻呂はあんなあな[#「あんなあな」に傍点]に騙された! (消える)
竹取翁 (だんだんと声が弱まって行く)信じて下さらぬと云うのか? 貴方は儂の話を信じて下さらぬと云うのか?
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こがねまる、みのり、蝗麻呂《いなごまろ》の姿が一時に浮び上った。
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三人 (一緒に)

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だまされた だまされた
あんなあな[#「あんなあな」に傍点]にだまされた
なよ竹は大納言の手先だぞ。
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竹取翁 (次第に力なえるごとく)信じて下さらぬと云うのじゃな? お若い方、貴方は儂《わし》の話を信じて下さらぬと云うのじゃな? ひとことでよいから信ずると云って下され。ひとこと、信ずると……
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翁《おきな》の言葉がふと途切れる。すると、翁の姿は濃い蒼色《あおいろ》の光に照らされ始めた。白銀の斧《おの》がその手に異様に光っている。
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なよたけの声 (突然、左手より風の音に交って聞えた)文麻呂! 文麻呂!……信じては駄目よ! 誰の言葉も信じては駄目よ!
文麻呂 (はっと我に返ったように)なよたけ! どこにいるんだ! 教えておくれ!……なよたけ!……お前はどこにいるんだ!
竹取翁 なよたけは信ずるものを喪《うしの》うた。なよたけの夢は現《うつ》し世《よ》から消えて行くのじゃ。……竹取ノ翁もなよたけのかぐやも無明の中に消えて行くのじゃ。
文麻呂 お爺さん! 貴方には聞えないのですか? あのなよたけの声が貴方には聞えないのですか?
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風の音烈しく……
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なよたけの声 文麻呂!……竹の林を出て! 竹の林を出て! 果しもない夜空の下にあたしは立っている! お星様が残る隈《くま》なく見える所にあたしは立っている!……文麻呂! 早く竹の林を出て! 竹の林を出て!
文麻呂 お爺さん!……なよたけが僕を呼んでいる! 僕にはあの女《ひと》の声がはっきりと聞えるのです! なよたけは夢ではありません! なよたけはこの竹林の外で僕を待っている。……竹の里の伝説は滅《ほろ》んでも、なよたけの姿は決して亡びはしません! なよたけはこの竹の里を捨てて、今こそ僕のものになるのです! 今こそ僕の妻になるのです!
竹取翁 なよたけは月の都に呼び戻されるのじゃ。……人の世のなべてのものに望みを失った時、あれの魂は月の都に呼び戻されるのじゃ。……儂の夢はこのまま永久に消え去って行く。語り継ぐものとてないこの里の云い伝えはこのまま永久に消え去って行くのじゃ。
なよたけの声 文麻呂! 文麻呂!
文麻呂 お爺さん!……僕は行きます! 僕は行かなければならない!
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文麻呂、左手の方へ去ろうとする。
烈しく乱れ飛ぶ竹の枯葉。不気味な風の音。蒼色に照らされていた翁の姿は次第に力なえるもののごとく夜の闇の中に消え失せて行く。
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竹取翁 (絶え入る如く)貴方は一体どなたなのじゃ? 儂の夢を奪い去ろうとしている貴方の名前は何というのじゃ? この竹の里からいわれ古き遠世の伝えを持ち去ろうとしている貴方は一体何とおっしゃる御方なのじゃ?
なよたけの声 文麻呂! 文麻呂!
文麻呂 (翁をふりかえって)僕の名はなよたけが呼んでいる! お爺さん! 僕の名はなよたけが呼んでいる!
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文麻呂、左方へ消える。
翁の姿は蒼い残像をのこして、徐々に闇の中に消えて行った……風の音も、闇の中に吸い込まれるように消えて行った。……闇の静寂。どこからともなく、斧の音がひびき始めた。それは不気味なほど、はっきりしたひびきをもって、無明の時を刻み始めたのだ。

 合唱(ごく低く)

無常の風に 春の陽の
常世《とこよ》の緑 吹き消えて
今ははや いずこの方《かた》か……
常世の緑 吹き消えて
  翁が影は失せにけり
夜の深淵《ふかぶち》に 跡絶えて
  翁が影は失せにけり
(斧の音)
あとにただ、……
ひびかうは 時の音《ね》の
ひびかうは 時の音の
無明に刻む 斧の音……
ただ、白銀《しろがね》の
無明に刻む 斧の音……
(斧の音)
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わらべ達の声 (遠き挽歌《ばんか》のごとく)……さようなら! 文麻呂!……

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