軽蔑しよう。……俺は恋なぞと云う愚劣《ぐれつ》なものは全く信用しないからな。俺は大体、「夢想家」と云う奴は軽蔑するんだ。……しかし、清原。俺には分らん。……君は親友との盟約《めいやく》を裏切ってまでも、この計画から逃げ出したいって云うのか?
清原 (だんだん上《うわ》ずって来る)だから僕はなよたけをあいつにゆずると云ってるんだ。石ノ上は今ではなよたけに夢中なんだ。……僕には分る。なよたけも僕は嫌いだけど、あいつだけは好きらしいんだ。……それに、第一、今度のことはもともとあいつがひとりで勝手に決めてやり出したことなのさ。大納言様を失脚させようと云うあいつの利己主義がやり始めたことなんだ。……僕あ、あの頃はなよたけが好きだったから、誘われるままにひきずられて一緒にやり出したけれど、……だけど、あいつは今では僕の恋までも横取りしてしまったんだ。あいつは僕には黙って毎日夕方になるとなよたけとこっそり媾曳《あいびき》をしてるんだ。僕にはもう一緒にやる理由がなくなってしまった。……なよたけはあいつのものなんだ!……
小野 (鋭く)清原。……なかなかうまい理窟《りくつ》を云うじゃないか?……そりゃ、君が逃げ出したって、後指《うしろゆび》をさすものは世の中に俺と石ノ上の二人しかいないからな。だけど、俺は断言するぞ。貴様のはそりゃ弱音《よわね》だ。そんな理窟は貴様の弱音に過ぎん。……まあ、考えてもみろ。利己主義なのはむしろ貴様の方だ。自分に都合《つごう》のいい時だけは生死を共にするって云うような顔をして、自分に都合が悪くなって来ると、偉そうな言訳を並べたてて、……このざまだ。清原。そりゃ、俺達はまだ青二才《あおにさい》の学生さ。誰だって、自信なんか持っちゃいない。と云うよりは、むしろこの激しい世間の風当りが息苦しくってしようがないのだ。俺だってそうさ。石ノ上だってそうさ。……だがね。清原。そんな意気地のない弱腰な態度で、俺達は黙って世間の風当りを避けてばかりいていいもんだろうかね?……そりゃ、若い俺達のやることだ。失敗はあるだろう。しかし、失敗なんてものは物の数ではないよ。問題は実行すると云うことだ。俺達は敢然《かんぜん》と実行する資格だけは持ってるんだからな。あらゆる可能性をためしてみる資格だけは持ってるんだからな。そうじゃないかな、清原?
清原 (不貞腐《ふてくさ》れて聞いている)
小野 俺はもちろん、何度も云ったように、この計画には局外者だ。まあ気が楽だと言えば楽だが、とにかく、俺は君の態度だけは、黙って看過《みすご》すわけにはいかないね。……親友の一人として俺は忠告してるんだぞ。そりゃ、俺達のやることが何から何まで絶対的に正しいとは云わんさ。云わんけれどもだな、……問題は自分達で何かを始めるって云うことだ。自信をもって何かを始めるって云うことだ。俺はそれが一番大切なことだと思うんだ。今のそこらの若い学生達みたいに、無気力で、自意識|過剰《かじょう》で、あんな君、逃避的《とうひてき》な態度ばかり採《と》っていたら、力ある文化の芽は新鮮な若葉をも齎《もた》らさず、来るべき新時代の雄渾《ゆうこん》な精神の輝やかしき象徴たり得ずして、ついには遊惰《ゆうだ》の長雨に腐れ果ててしまうのだ。……なあ、そうではないか?……まあ、今度は俺は局外者だから、あまりこんなことは云いたくないが、……とにかく、なんだよ、貴様のは、それは単純なる弱気だ。卑怯《ひきょう》な尻込《しりご》みだ。……俺はそう思う。
清原 ………
小野 ただ、俺は[#「俺は」に傍点]そう思うんだ。
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間――
[#ここで字下げ終わり]
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清原 (妙にしんみり[#「しんみり」に傍点]となって)……小野。僕は実は、今、自分の無分別な行動を、冷静に反省してみてるんだ。……ねえ、小野。君はこう云う「和歌《うた》」知ってるかい? 「嘆《なげ》きわび 身をば捨つとも 亡《な》き影《かげ》に 浮名《うきな》流さむ ことをこそ思え……」
小野 なんだ、紫式部《むらさきしきぶ》か?
清原 うん。僕あとても同感なんだ。なんだか、この気持、とても清いものに思うんだ。「嘆きわび 身をば捨つとも 亡き影に 浮名流さむ ことをこそ思え……」僕あ、この頃、この和歌《うた》の意味がつくづく分って来たような気がするよ。
小野 何だかやにしんみりしちゃったね? それがどうしたと云うんだい?
清原 (勢いを盛り返して)……小野。僕あ君にだけは分ってもらいたいんだ。君んとこの家は代々大学寮の重職にある文章博士《もんじょうはかせ》だ。僕の云いたいことは分ってくれると思う。……君だってやがてはお父さんの後を継いで文章博士になる身だ。君は「家名」と云うことを考えてみたこと
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