麻呂!
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文麻呂はなよたけの胸をかたく抱《だ》き締《し》めた。
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なよたけ (ふと、訝《いぶか》しげに)文麻呂! なぜなの?……なぜ、あたしをそんなにきつく抱き締めるの?
文麻呂 お前が好きだからだよ! 死ぬほど好きだからなんだよ! もっともっと、つぶれるほど強くお前を抱き締めてやりたいんだよ!
なよたけ 待って! (抱擁《ほうよう》から脱《のが》れる)ねえ、文麻呂! 聞えない?……わらべ達があたしを呼んでるんだわ! あたしを見失ったわらべ達が呼んでるんだわ!
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行者達の呼ばい声が玄妙《げんみょう》な鈴の音と共に聞えて来た。右手奥の方から……

吐菩加美《とほかみ》 ほッ 依身多女《えみため》 ほッ
吐菩加美 ほッ 依身多女 ほッ
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文麻呂 (耳を澄まし)そうだ! わらべ達の声だ! お前は帰らなくちゃいけない。あの竹林の中に帰らなくちゃいけない。わらべ達がお前を呼んでいる!……なよたけ! 僕は夕方までに、都の家を引き払って、お前の処《ところ》へ行こう。……もう二度と再び都へなんか出て来るもんか! お前と一緒にあの竹林の中で一生暮すんだ! ねえ、なよたけ! もうお前と僕とは一生離れることは出来ないんだよ! そうだろう!
なよたけ (嬉しそうに肯《うなず》く)
文麻呂 (遠く右手奥を指し示し)さあ、お行き! あのわらべ達の声が道しるべだ! あの声の聞える方へどんどん行けばいいんだ! 夕陽の沈む頃、僕もお前の所へ飛んで行くよ! (なよたけの手を放す……)
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行者の呼ばい声、突然、ふと聞えなくなる。文麻呂、右手奥へ走ろうとするなよたけを呼びとめて……
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文麻呂 (怪訝《けげん》そうに)なよたけ!
なよたけ (立止り)何?
文麻呂 僕には聞えなくなってしまった。何にも聞えなくなってしまった。……お前にはまだ聞えるの?
なよたけ 何が?
文麻呂 あのわらべ達の呼んでいる声……
なよたけ (耳を澄まし[#「耳を澄まし」に傍点])聞えるわ! 聞えるわ! とてもよく聞えるわ!
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