て、生きていかなければならない、惨忍な季節であつたのだ。
どうして幼い凡太郎が。
生れてから、まだ一度も春にめぐり合つたことのない凡太郎が。『花』や『蝶々』や『星』の美しさを知る道理があるだらう。
私の家の、唯一の訪問者である犬、鴉、牛、などの言葉を真似たことが、当然であつたのだ。
――色々の真似をするところを見ると、唖でもないやうですね。
――うむ。
と私は妻に、うなづいて心の中で、
――今度は、きつと人間の言葉を覚えこむだらう。
ことを期待してゐたのであつた。
静かな日が何日も続いた。
濃霧は、私達の家のめぐりを、とり囲んだ。
この霧のたちこめた日は、私の感情をさま/″\に変へた。
美しい夕方の薄い霧は、遠くの方を、幻のやうに見せて、なにか蜜のやうに、甘いものでもあるかのやうに、私をよろこばした。私は凡太郎を抱いて家の前に出て充分に凡太郎の小さい口に吸ひこました。
すると凡太郎は、しまいには、しきりに嚔《くさめ》をするのであつた。
怖ろしいのは夜更の濃い霧であつた、重い濡れた幕のやうに、小さな家の上に掩ひかぶさるやうな恐怖を感じた。
その重いものは、はねのけてもはねのけても、匍つて来て屋根の上に白い獣のやうな腹を載つけた。
硝子窓から、霧の戸外を覗いて見ると、一寸先も見えない。
不意に霧の中に隠れてゐる何者かゞ、私達の家にむかつて、弾丸を撃ち込みはしないかといふ、不安に脅かされる日もあつた。
私の家を訪ねるものは、獣や鴉の他に毎土曜日の、顔の黒ん坊のやうな、煙筒掃除人と、郵便配達の声位なものであつた。
或る日、不意に二人のマルクスが私の家を訪ねて来た。
(四)
郊外になど住んでゐると、色々な物売が、女子供とみれば甘くみて、押つけがましく、恐喝らしく玄関先に品物を拡げ、買つてやらなければ何時までも立去らうとしないことが多い。
殊に私を憤怒させるものは、神仏の押売をする人達であつた。
性来神や仏といふものを嫌つてゐる私は、この神仏押売人の撃退策を、平素から妻に教へこんでゐた。
――妾《わたし》のところには神棚もお仏壇もありませんので、お札を頂戴してお粗末になつてはかへつて勿体ないと思ひますので。
私はかう台詞を妻に教へこんであるのだ。
『天照皇太神宮』や『稲荷大明神』や『イヱスキリスト』などのお札売はチ※[
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