かになり、したがつて女の容姿《すがた》がよくなること。婦人は身嗜みとして、平常から食物の上にもこの位の細心な注意が要すること。などゝ急に雄弁になつて、彼女一流の理屈を述べたてた。
――蛇のやうに、醜悪な姿態《しな》をつくつて、街を歩いてゐる女をよく見かけるが、あれなどは酢を飲みすぎた女だな。
私は思はず苦笑して、妻の顔を見あげたのであつた。
晩飯には、彼女は、ないことに変つた調理で私の舌を喜ばした。
それは牛肉に胡椒を振かけたものであつたが、脂肪がすつかりぬけてしまつてゐて、サラ/\とした、淡白な味のものであつた。
精一杯に、その肉の料理をほめそやすと、彼女は、得意さうにその調理法を語るのであつた。
――いかにも、お前らしい、ふざけた料理法ぢやないか。
私は、呆れ果てゝ、その皿の上にのつた肉の数片を眺め見た。
肉を何時間となく気永に脂肪のぬけきるまで、煮沸したものだといふ。
精分の多い煮汁はみな捨てゝしまひ、肉の煮出し殻を皿に盛つたものだ、かうした些細な食膳の変化にも感激するほどに、妻の献立表は、毎日のやうに単調を極めてゐたのであつた。
食後、私は何かしら彼女と青丸との心を浮き立たせなければ、申訳のないやうな気持になつた。
晩酌の酔ひも手伝つて、私は着物をぬぎ捨て、猿股ひとつになつて、青丸の前に、ワンワンと犬のほえる真似をして、座敷中を四ツんばいになつて駈廻つた。
――さあ、今度は狼だ。
うなり声をたて、坐つてゐる青丸の頭上を、幾度も跳躍した。
青丸は上機嫌で、声を立てゝ可愛らしく笑つた。
妻はたいして愉快でもないらしく、折々青丸に調子を合せて、苦笑するにすぎなかつた。
――今度はロシア舞踊だ、ニジンスキイもはだしの旋律舞踊だ。
青丸にむかつて、かういつて踊りだしたが、小さい青丸は私の舞踊のよさ[#「よさ」に傍点]は到底理解出来ないので、私は実は彼女にむかつての公開であつたのだ。
踊りながら、猿股のひもを引くと、猿股は波を辷る漁船かなにかのやうに、冷たい触感で落《おち》、まつたくの素裸となつた。腹部のあたりに、白々とした寒い風がまとはりついた。
三年前の彼女であれば、男の素裸を見て、驚死したかも知れないが、現在の彼女にとつては、大してその気持を引きたゝせることでもなかつた。
妻はにこりともしなかつたので、私は羞恥に似たものを感じ、大いそぎで、猿股をはき、浴衣《ゆかた》を着てその物静かな舞踊をよした。
(三)
二人の生活には、弾力のないゴムのやうな、救ひのない一条の脈がつらぬかれてゐるやうに思はれた。
女もまた、救ひのない脈を、内心深く感じ、これを怖れてゐるらしく、青丸のよだれかけに赤三角に黒い縁取りの衣匠を、念入りに縫ひ取つたものを作つてやつたり思ひがけない、かはつた美しい草花を、私の汚れた机の上の、花瓶に、不意に※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]してをいたり、電燈の球をふいて(彼女が球をふくなどゝいふことは、実に稀であつた)急に室内を明かるくしたりして二人の感情を朗らかに、更新させようとする、色々の苦心も、まざ/″\と感じられた。
だが私は、外出から帰り、青丸の新調のよだれ掛けをほめる前に
――青丸の額の、禿あがり具合まで、俺にそつくりぢやないか。
と、まずしひて、不機嫌に憂鬱な眼となつてから、青丸のよだれ掛けを賞めた。
あやしい老人の精気の凝つた、南瓜畑は、日中の晴天のもとに、その翼のやうに、重い大きな葉をひろげた。
――若さの奪略のために、植た南瓜畑だ。
と、この茂みのどこかで私にむかつて語つてゐるやうな、幻想にも陥つた。
――少し神経衰弱の気味ではないだらうか。
私は心にかうつぶやき、白地の浴衣に着替へ、することもなしに机の前に、気むつかしい気持ちで坐つた、青丸と妻とを、その前にすゑて、理由のないことを、長々としやべりたてゝも見たい惨忍な気持ちになつた。
家根《やね》に巣をつくつてゐた、雀の子が、ある朝、天井裏に迷ひ落《おち》、チイ/\悲鳴をあげて、天井板をあるき廻つた、私はその逃げ場をつくつてやるために、天井板を一枚はづしてをいたが、雀の子は明かるみを発見して、果してそこからパッと室内に舞《まひ》をりた。
――すつかり、障子をしめきらなければ逃げてしまふぞ。
――茶箪笥のかげに入りましたね、こつちの方に顔を出しましたよ。
この出来事のために、私達は騒ぎ立て、バタ/″\逃げまはる雀の子を室中をひ廻し、妻もまた近頃にない、朗かに晴れた顔をした。
捕へた雀の子の足に、もみの布をゆはひつけて放してやつたが翌朝歯を磨いてゐた妻が、不意に頓狂な声をたてた。
窓際の柵の上に、前日捕へた雀の子が、もみの布を、
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