ぱりおつた


(ブス ブスン)
あつ これは失敗《しつぱい》
まあ大|体《たい》 けふは天|文台《もんだい》で かういふ風な大さわぎぢやつたんぢや!
まあ ご本が
これはおどろいた


ニャン君 ご主人《しゆじん》の おへやで仕事《しごと》だ 仕事だ 早くきて手|伝《つだ》つておくれよ
ご用
いいわ 手伝つてあげるわ


大げさね ピチ君 白ハチ巻《まき》なんかして
そういふ君だつて頬《ほほ》かぶりなんかしておかしいよ
や、これ何んです お父《とう》さん
なんぢや


うむ、それぢや それが月|野《の》博士《はかせ》との問題《もんだい》の種《たね》だつたのだ
それは火星《くわせい》の運河《うんが》を写生《しやせい》した絵《ゑ》ぢや
運河といふのは 堀割《ほりわ》りの大きなやうなのですね


さうぢや この運河を望遠鏡《ばうゑんきやう》で見ると この様《やう》に あまり きれいにまつすぐな線《せん》なんで
(火星《かせい》シヤセイヅ)
その運河は何か生物《いきもの》がほつて造《つく》つたのだといふんですね


さうぢやよ 火星に生《い》きものがゐて運河をつくつたといふ説《せつ》をたてる学者《がくしや》がゐる
お父《とう》さんは 火星には生物《いきもの》がゐないといふんですか


わしは居《ゐ》ないとはいはん しかし居るともいはん
お父さんはどつちなんです


どつちか分らん ただね あの運河の様《やう》なものは 人|間《げん》なんかでなくともできると言《い》ふのぢや
火星に人間がゐると面《おも》白いんだがなア


テン太郎や 庭《には》へ出ておいで
何をするんですか


ピチ おまへ この紙をくわへて走れ わがはいがよしといふ所までだ よいか


馳《かけ》つこなら あたしだつて負《ま》けないわ
ニャン君《くん》になんか負けるもんか


フーフー どこまで走るんだらう
なあんだ いくぢがないのね


博士《はかせ》もつと走るんですか
止まれ よろしい 樹《き》の上にのぼれ


うわあ僕《ぼく》は犬だから 木のぼりは困《こま》つたなア
それぢや わたしが代《かは》つて登《のぼ》つてあげるわ


テン太郎サアン この辺《へん》でいいですか
てつぺんまで登れつて いつてゐるよ


もつとのぼるの 少しこわいわね
なあんだ僕をいくぢなしといつたくせに


ぢや、もつと登つたつていいわ ちよつと芸当《げいたう》だわね
おや 博士が大きな声《こゑ》で何か言《い》つてゐるよ
紙をこつちに見せてくれつてさ


さてテン太郎 いまニャン君がもつてゐる紙をよくごらん
何かがかいてありますね


おや
たくさん線《せん》が 引《ひ》いてあるやうですね
あれを火星《くわせい》の運河《うんが》だとして 一つ写生《しやせい》をしてごらん


よしきた、でもよく見えないんです
そんな弱虫《よわむし》をいつてはいかん お父《とう》さんは毎《まい》日天|文台《もんだい》でもつと遠くを見てゐるんだ


これは難《むづ》かしい仕事《しごと》だなあ
お父さんなんかどうする 毎日|地球《ちきう》と太|陽《よう》との距離《きより》六|千《せん》二|百万哩《ひやくまんまいる》の向ふを見てゐるんだよ


火星《くわせい》が地球《ちきう》に一ばん近いときでも 年《とし》によつて違《ちが》ふが 三|千《ぜん》五|百万哩《ひやくまんまいる》もある
もの凄《すご》く遠くに 在《あ》るんだなあ


いやそれ所か、もつともつと遠くに離《はな》れてゐる星が 空には一ぱいあるのだ


もう我慢《がまん》できないわ 手がしびれて上からすべり落ちさうだわ


なんだ 智慧《ちゑ》がないなあ 君は足だつて使へるぢやないかあ


もう駄《だ》目よ 足《あし》もふるへてきたのよ
もう一|段《だん》下の枝《えだ》に 下り給《たま》へ 叱《しか》られやしないよ


ああお尻《しり》が 痛《いた》くなつちやつた
困《こま》つたなあ ぢやもう一段下の枝へ


あたい つまらなくなつたわ
僕《ぼく》もたいくつだよ 下の枝まで降《お》りてき給《たま》へ


これなら楽《らく》だわ あんたキャラメルもつてゐたわね
さうだつた 一つあげやう


おや樹《き》の所に 何も見えなくなつたぞ
ほんとだ ニャン子たち 何うしたのだらう


あさうだ 望遠鏡《ばうゑんきやう》をもつてきて見てやらう
ああそれから お父《とう》さんが作《つく》つてやつた模型《もけい》のロケットもとつておいで


どれどれ
おやあ これは驚《おど》ろいた ふたりとも樹の下で眠《ねむ》つてゐるぞ


このロケットで驚ろかしてやれ
アハハ 驚ろくぞきつと


(ドカン!)
うわあ おどろいた


すつかり眠《ねむ》つちやつた
テン太郎さん ごめんなさいね


きみ達《たち》は、もつと火星《くわせい》の研究《けんきう》に熱心《ねつしん》にならなければいけないよ
だつてわたし ずゐぶん高い木のてつぺんに上つてこわかつたわ
まあよろしい
いや、どうも恐《おそ》れ入りました


ところでテン太郎 お前の写生《しやせい》した絵《ゑ》を見せてごらん
こんなにかけました


テン太郎 お前の描《か》いた絵はこれだ ところで
ほんとうの絵はこれだ
あらッ まるで違《ちが》つちまつた
ほんとに
おかしいわねえ


どうぢや目茶《めちや》くちやな点《てん》だつて ある距離《きより》から見ると そんなに真《まつ》すぐに見えるんぢや
ほんとうですね だから 星の運河《うんが》だつて真すぐに見えても 人|間《げん》がつくつたとはいへませんね
その通りぢや お前は呑《の》みこみが早いぞ


月|野《の》先生《せんせい》は なんとおつしやるんですか
月野|博士《はかせ》はロウエル教授《けうじゆ》と同《おな》じ考《かんが》へで 火星《くわせい》は水が少《すく》ない そこで運河《うんが》へは火星|人《じん》が大|仕掛《じかけ》の給水《きふすゐ》ポンプで水をくばるといふのぢや
ほんとかしら
うそかしら


さあ 夕飯《ゆふはん》がすんだら 今晩《こんばん》はみんなにいいものを見せてあげるぞ
あ、さうだ けふはお父《とう》さんに幻燈写真《げんとうしやしん》を見せていただく約束《やくそく》だつた うれしいなあ
幻燈
まあうれしい 早く見たいわ
[#改ページ]

火星《くわせい》に人間《にんげん》が住《す》んでゐるか


これが 火星の運河《うんが》を想像《さうざう》して描《か》いた絵《ゑ》の幻燈だ
うわあ すごいなあ
この太い管《かん》はなんでせう
これが きつと 火星の運河のある所に茂《しげ》つてゐる植物《しよくぶつ》に水を送《おく》る管だ


運河《うんが》の長さはどれ位《くらゐ》あるんです
それが大|変《へん》ぢや 何|千哩《ぜんまいる》も続《つゞ》いてゐることになる
そして時々|望遠鏡《ばうゑんきやう》で火星《くわせい》の運河が二本に見える 学者《がくしや》はこれを二|重《ぢゆう》運河といつてゐるんぢや


それは、ほんとうに二重でせうか
それはわからん 反対者《はんたいしや》もある
これを主張《しゆちやう》する学者は火星にある運河の四|分《ぶん》の一が、二重だといふのぢや


お父《とう》さん 火星の人|間《げん》はどんな格好《かくかう》をしてゐるでせうね
それは分らんね 想像《さうざう》もつかん またどんな想像したつてかまはん
足《あし》や手が有《あ》るかも分《わか》らないね
だつてそんな立派《りつぱ》な運河をこしらへるんだもの 頭《あたま》や手はきつと有《あ》るわ


さうだ ニャン子のいふ通りだ とにかく何|千哩《ぜんまいる》もの運河を造《つく》つてゐるとすれば 測量術《そくりやうじゆつ》だけは発達《はつたつ》してゐることになる
ソクリョウ術《じゆつ》つてどんなのかしら
ニャン君 きみ、まだしらないのかい


ほら よくそとで三本|足《あし》をたてて 望遠鏡のやうなものをのぞいては地|面《めん》や道なぞを量《はか》つてゐる人があるだらう
ああ 分《わか》つたわ
あれだよ 僕《ぼく》なんかちやんと知つてらあ


でもね人間の力でなくても 自然《しぜん》の力でも いまここに映《うつ》る位《ぐら》いのまつすぐな運河もできるのぢや ごらんあれを
やあ
満月《まんげつ》だわ
きれいなお月さんだ


あの月がいい証拠《しやうこ》だよ 火星《くわせい》を調《しら》べるには月がとてもいい参考《さんかう》になるんぢや
ぢや 月にも 火星の運河《うんが》のやうなものがありますか
あるよ しかも 真《ま》つすぐなのもある


さあ ごらん これが月の面をとつた写真《しやしん》だよ まん中の所に真つすぐな線《せん》があるだらう
ああ あつた あつた
ほんとだわ
あれはなんです お父《とう》さん


あれは火|山《ざん》の裂《さ》け目だ 名前はアリアダウエス小流《せうりゆう》といつてゐる
あれは どの位《くらい》の長さですか
長さは百《ひやく》五十|哩《まいる》ぢや


月には こんな運河のやうなものは沢山《たくさん》あるんですか
いや 月には十|哩《まいる》以上《いじやう》のものはあまりない しかし火星の運河はみな大きいのぢや


さあ おそくなつてしまつた これで終《をは》りだ
みんな早くおやすみ またあしたね
ぢや お父さん おやすみ
おやすみなさい
おやすみなさい


さあ眠《ねむ》らう いい月だなあ
わたし火星《くわせい》の童謡《どうえう》ができたわ
ぢや うたつてごらん


火星に猫が居《ゐ》るならば ニヤンとはなかない[#「なかない」は底本では「なかな」]ワンとなく
やあ うまい うまい
ひどいなあ ぢや僕《ぼく》だつてできた


火星に犬が居《ゐ》るならば ワンとはなかないニヤンとなく
やあ うまい うまい
ひどいわ ひどいわ


わたしの歌《うた》のまねだわ まねだわ
あれッ 痛《いた》いッ 僕の顔《かほ》をひつかいた
あつ 喧嘩《けんくわ》をするんぢやないよ よしなつてば


さあ仲《なか》よく合唱《がつしやう》しやう
火星に猫《ねこ》がゐるならば
火星に猫《ねこ》がゐるならば


おやまあ なんてさわがしいんでせう


シッ お母《かあ》さんが来たぞ
大|変《へん》だ
もぐれ もぐれ
[#改ページ]

空中飛行《くうちゆうひかう》


グー グー
グー グー
クー クー クー
おや みんなよく寝《ね》てゐるやうだわね


お母《かあ》さんが行つてしまつた みんなこんどはほんたうに眠《ねむ》らうね
クウ


テン太郎さん テン太郎さん テン太郎さん
クー
クー
クー


テン太郎さん
テン太郎さん 早く起《お》きてください 大|変《へん》です 大変です
オヤ 何んだらう
グー グー
クー


おや ストーブの煙突《えんとつ》の穴《あな》から何か入《はい》つてきたわ
テン太郎さん
テン太郎さん


まあ たくさん出てきたわ
あなたは誰《だれ》
僕達《ぼくたち》は火星人《くわせいじん》です
早く テン太郎さんを起《おこ》して下さい


火星人…… まあ大|変《へん》だわ それではすぐ起すわ
洪水《こうずゐ》がやつて来さうです
すぐ仕度《したく》をして逃《に》げださなければ大変です


テン太郎さん 早く起きて下さい 大変よ 大変よ
あつ おどろいた どうしたの
ムニャ ムニャ
こちらの 耳の長いかたも起きて下さい


やあ 一|体全体《たいぜんたい》これは何だい ずゐぶん小さな人|間《げん》だなあ
この人|達《たち》は 火星の人たちです、さあ
クン クンクン 気持ちが悪《わる》いな


ごらんなさい もう洪水がやつて来ました
いつたい ここは どこなんだらう
テン太郎さん 早く逃げませうよ
ここが火星ですか おかしいなあ



前へ 次へ
全7ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小熊 秀雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング