、事変下の大方の作家、評論家は、情勢に応じて、作家行動も、かなりいい加減な合理化をやつて、心理生活の間に合せをやつてきたものが、こゝへ来ては、いよいよモグサの熱さから、肉体の熱さに移つてきて、その言説も、いやでも実感を帯びないわけにはいかなくなつたやうだ、新潮の評論四氏何れも甚だ実感的文章である。
 ▼なかでも本多顕彰氏は『も一つ前の問題』といふ題下に、近来の大激憤を洩してゐる、彼の論旨は、政治家に要望して『政治が文学に話しかける時、政治は己れの中のヒューマニズムを省みなくてはならない――』といふのである。
 ▼しかし考へても見よ、本多氏のいふ政治の中のヒューマニズムなどとは、いつたいどんな姿恰好をしたものを指していふのか、これまで政治が政治自身の中のヒューマニズムなどを、只の一度も論じたり検討したりした証しでもあるといふのか、一方文学者にしても文学自身のヒューマニズムを論じたことはあつたが、政治の中のヒューマニズムなどに、これまで関心をもつたり、論じたりしたこともあるまい。
 ▼情勢がこゝまで進んできて、政治家と文学者との接触の機縁を得た途端に、本多氏が『政治の中のヒューマニズム』な
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