幾多の難問題を控へて、よほどハッキリした頭の持主でなければ、所謂農民の家常茶飯事的物語りの作り手以外になることは不可能だらう。
▼徳永直の『先遣隊』(改造二月号)は、大陸物で、移民先で郷愁にかゝつた青年が退団して、郷里に帰り、周囲の白眼視の中にゐたが、相愛の女が渡満することになつたので、彼も再び渡満するといふ筋で、美事なハッピイ・ヱンドで結んでゐる、農民小説も、こゝに国策的な大陸移民ものが加はつて、悩みが新しく一枚加はつたわけだ、日本のインテリ映画ファンは、アメリカもののハッピイ・ヱンドを曾つて極度に軽蔑したものであつた、物語りの過程がいかにリアルであつても、終り楽しければ、そこの部分だけで、大きく相殺されるといふことを、徳永が多少野暮でない、明るい農民物で如実に示してゐると言ふべきだらう。
手遅れの感
本多顕彰氏の激憤
▼新潮四月号は『小説の政治性と芸術性の問題』の課題で、本多顕彰、富沢有為男、保田与重郎、伊藤整の四氏が評論をかいてゐる。
▼これらを読んで感ずることは、作家、評論家にも、いよいよお灸が利いてきたらしいといふことだ、これは四氏のみに当てはまる言葉ではないが
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