で、誰がどのやうな分担をしたのかさつぱり判らないが、たかだか六百数十頁の本を四人で突つき合ふといふ、共訳の意義が奈辺にあるか、これまたわからなくなる。
悩み果てなし
農民小説と徳永の作
▼農民小説と銘打たれてゐる作品の大部分が、その内容や表現の、泥臭さ、野暮臭さの点でだけは『農民もの』らしいが、さつぱり農民生活の本質にふれてゐないことは久しいものだ、何とか稀にはスッキリとした農民小説でも現はれて、読者を解放して欲しいものだと思ふが、それがない。
▼我々の見るところでは、農民作家と自称する連中の、勉強不足は眼立つものがある、農民の封建性と共に棲むといふことが農民作家だといふのであれば議論がないが、作家として高い客観性から、現在の日本の農民生活を、如実に描き得るといふ第一の資格は、その作家の政治的水準の高さ――それが是非とも必要なのである。
▼見渡したところ誰が、さうした政治的観点から、農民生活を描き、描かうとしてゐるか、農民作家の人材の乏しさは、目立つて心細いものがある。
▼農民小説や、戦争小説は、取つ付き易く、組み敷き難いものの最大なもので、これらをテーマに扱ふ作家は、
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