家が、『事実の強さ』に捕はれるといふ消極的な現れだ。報告文学とはいへ、旅行記と何等変りがない。
 ▼材を満洲国や支那にとるといふ大陸小説は今後も盛んに続出するだらうが、これらの小説はその作者の創作心理の不緊密であることを、益々その作品によつて暴露してゆくだけで、大陸小説、民族小説の目的とは遥かに遠い。だらしのない落莫小説を産出する位が関の山だらう。
 ▼これらの作品は当面の強烈な現象に飛びついたといふ意味では国策的であるが、国内的な現実に眼を掩つてそこから逃げ出さうとする態度では、一種の越境小説と言へる。
 ▼日支事変は国民の精神に新らたなる試煉を与へた。同時にあらゆるものの価値の急激な修正が無意識のうちに行はれてゐる。作日の読者また今日の読者ではない。
 ▼殊に戦争とか事変とかいふ精神的ショックの後に来る国民精神の変化といふものは、ある決定的な姿をとつて現はれることは明らかで、それは国民の国内的な基本的な生活の変化としての必然的な姿である。国民の変貌、新しい読者の登場。然るに作家のみ徒に現象を追ひまはすといふ醜態は救ひ難いものがある。


単純な優等生
 政治と文学のお茶の会

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