やつた芝居が巧くいつたら文句がないぢやないかといふ――意見もあらうが、俳優や演出家の劇芸術に対する良心性は我々も充分に認める。
▼然し上演劇曲の成功、即その劇団の成功とは、軽忽には考へられない、新協劇団と新築地が何れも面白い芝居をみせてくれたとしても、そこにそれぞれその劇団の特質的な面白さ、成功さといふものを具体的に示してくれなくて、この二つの劇団が一つに合併しても少しも変らないやうな単一化が最近の傾向だとしたら、相当の危険が隠れてゐると云ふべきである。
▼新築地の「綴方教室」や新協劇団[#「劇団」は底本では「劇壇」と誤記]の「春香伝」は何れも近頃の努力的な上演であるが、この二つの劇団がまるで場所を取り替へたやうに、新築地は、おそろしく地味な劇曲を、そして新協劇団は「夜明け前」のリアリズムの後に、思ひもかけない華麗な「春香伝」の舞台面を展開してゐる、その飛躍ぶりは非常なものであるだらうかといふ疑問も起きる。
▼ただ「春香伝」は朝鮮の伝説の紹介であるといふ文化的意義があるので、新協のこれまでの態度の継続であらうといふ理由づけができるが、そのことだけの値打を認めて、上演の方法に関して、その文化性を吟味するといふことも見のがされない、例へばヤンバン(武士階級)とシャンノム(平民)の階級的な明確さが演技の上に出てゐない、ことなどはその特長的な微温さを示してゐる、「平民」はただぺこぺこ頭を下げてゐるだけである、ただ新協がおそろしく華美な芝居をやりながら、婦人客を泣かせる巧者さを身に着けたことだ。
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当局の「作家忌避」
▼屋外労働者の生活問題に触れてゐる俗謡『土方殺すにや刃物は要らぬ、雨の三日も降ればいゝ――』を文筆労働者である作家に、あてはめてみると、或る作家の書いたものに、一度二度の発禁があれば、その作家を土方の雨同様、生活を乾上らすには充分だらう。
▼然も最近では『当局の作家忌避』といふ新しい現象が加へられた、法のはたらきは、必ずしも法文に依つてのみ作用するとはかぎらない、法文以外に、当局者のちよつと許りの首の傾け方、頭のふり方が法の権威を発揮する場合も少くない、此場合の当局者が作家に対する選り好みの小感想も時節柄波紋が大きい、随つて当局者の感想風な好悪の表現も言はれた作家にとつて事実上の執筆禁止の運命になつてしまふこともある。
▼東京保護
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